【 入 選 】

【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
しなやかに
北海道  をじろう 37歳

私は小学校の教師をしています。

子どもにはいつも全力でぶつかってきました。全力でぶつかれば、必ず返ってくると思っていましたので。ところがある子との出会いが、私を変えました。

 彼はとにかく気の向くまま行動しました。授業中に立ち歩いたり、教室を飛び出したりもしました。周囲とよくトラブルになるので、その都度、指導しなければなりません。

「それはダメ、これもダメ」

しかし彼は指導を全く受け入れません。眉間にしわを寄せ厳しい顔をします。そして奇声を上げたり、逃亡したりします。時に校舎から飛び出して、近くの河川敷に座り込んでいることもありました。毎時間が闘いでした。彼につきっきりになってしまい、他の子たちは自習が増えました。職員室でも支援体制を整えてもらったものの、それでも焼石に水でした。

保護者の方も悩んでおられました。聞けば入学する以前から、衝動性をおさえるために通院して薬をもらったり、生活技能訓練を受けたりもしていましたが、あまり効果はないようでした。もっと全力でぶつからなければ。自分を奮い立たせる日々が続きました。

 そんなある日、私はそっと彼の手を握ってみました。何気ない先輩との会話がきっかけでした。

「もっと、めんこしてやったら」

 めんこは、北海道弁でかわいがるの意味です。そこで、ぶつかることをやめ、そっと手を握ってみたのです。すると彼の眉間のしわが消え、穏やかな表情で見つめながら、けして手は離しませんでした。

この目に、学校や私はどう映っているのだろうか。その思った瞬間、私の中で何かが変わりました。

今まで否定していた彼の行動を、まずは受け入れることにしたのです。それは勇気のいることでした。指導の放棄ともとられかねません。実際、一部の教職員や保護者からは、今までのように指導すべきだという声も出ました。

とりあえず彼に問いかけることにしました。受け入れるには、まずは相手を知らなければいけませんので。

「どうして飛び出したの」

 すると彼の答えは明瞭でした。

「そうしたかったんだもん」

この返答に、これまでの私なら叱りとばしていたでしょう。そのかわり手をつないで廊下を散歩することにしました。すると彼は色々なことを話します。掲示板のポスターの画鋲が一つとれていることや、校庭の木々のわずかな変化など、こちらが気付かないことを多く知っていました。

「すごいね。全然知らなかった」

「それとね。先生、あのね…」

 彼はとにかく話したかったのです。それを繰り返していくうちに、僕自身も変化していきました。肩ひじを張らずに、彼と向き合えるようになりました。こちらが伝えたい必要なことは少しずつ、彼が落ち着いているときに話すことにしました。ほとんどの場合、彼は自分の気持ちに夢中でしたが、拒絶だけはされなくなりました。

一か月ほど経った頃、ある変化が見られました。クラスの子どもたちが、彼にとても優しくなったのです。担任である私が彼を受け入れていることで、子どもたちもそうなったのだと思います。それに伴って、彼の教室からの飛び出しが極端に減りました。彼は小さな変化に気付く敏感な子です。クラスの雰囲気が排他的だったのを、感じ取っていたに違いありませんでした。いつも眉間にしわを寄せていた彼には、笑顔が増えていきました。友達との関わりも増えました。彼は二年後、多くの優しい友達に囲まれながら、笑顔で卒業していきました。

当時、彼が逃げ込んでいた河川敷に、初夏を告げる草花が揺れています。

一人一人の子どもにそれぞれの背景がある。それを感じつつ、寄り添い、声をかける。彼のおかげで私は、そういう関わり方を覚えました。

やる気のみで突っ走ってきた時期を経て、目の前で揺れる草花のように、自分もしなやかにありたいと願います。

人が人を育てるこの仕事の奥深さに、静かにわくわくしている今の自分がいます。

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