【 入 選 】

【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
決断、そして前に
静岡県  ファィブアデイ 52歳

 7月、私は三年間勤めた職場を退職した。

結婚、出産、子育て、子供たちの成長に合わせて何度かの転職を経て、再び正社員として食品会社に勤めて三年になる。一年目は夢中で仕事を覚え、二年目から自分の経験を活かして、少しでも売上に貢献できる事を考えて試行錯誤してきた。仕事にやりがいと手応えを感じられるようになった矢先、胸にしこりが見つかり乳癌と診断された。それからは、毎週通院をして検査が繰り返された。検査は時間がかるものが多く一日仕事だった。あっと言う間に有給休暇は消化されていった。手術日も決まり、落ち込んだり不安になったりもしたが、真っ先に頭をよぎったのは、職場の同僚に迷惑をかけてしまう事だった。女性だけのプロジェクトチームを立ち上げ、食育講座や料理教室の企画をしていたからだ。

初めての入院と手術で、術後のことなど想像もできないでいた。今や医学は進み、何十種類もの治療方法が、個人のライフスタイルによって選択できる時代になっていた。女性にとって胸が失われるという悲しみやストレスは計り知れない。手術を行わない選択や、抗がん剤を拒否する事も可能だった。

しかし、私は手術やその後の抗がん剤投与、職場への復帰時期などすべてを医師の判断に委ねようと決めていた。これまで私は健康だけが取り柄で病気の知識も乏しかったし、職種違えど、私も健康食品管理士としての人一倍責任感を持って仕事をしてきたので、専門医に任せる事がベストの選択だと考えたのだ。

担当医は、「退院後一か月の自宅安静を要する」と診断書に書いた。乳癌はリンパへの転移がしやすく、リンパ節を同時に切除する。そのため腕が浮腫み、思うように上がらない

退院してからも、腕の痛みや違和感は変わらず、本当に社会復帰できるのか不安になっていったが、マッサージなど自分でできる事は何でもやった。退院から一カ月、職場復帰の時期を迎える頃、抗がん剤治療が始まる予定になっていた。会社からは、「一回目の抗がん剤投与から様子を見て出勤した方がいい」と連絡を受けた。復帰した途端、また体調が振るわないのは困るというのだ。会社の規則として、欠勤は認められない。有給休暇を取るか、医師の自宅安静の診断書が必要になる。有休はほとんど使い切っていた。

しかし、「一日も早く社会復帰してほしい。安静は特に必要ない」というのが医師の見解だった。「体調が元通りでないことはわかる、個人差はあるものの副作用が無いとは言えない。時短勤務や内勤などへの配置換えが必要ならば、それは会社に相談することで医師に相談することではない。」と言われた。

診断書は書いてもらえなかった。正直なところ、医師の意見は最もだと思った。社会は多種の公助で守られている。病気をするとそれが良く分かる。高額療養費も傷病手当金も有り難い制度だ。仕事をするという事は、その労力の対価を頂くという事以外にも、会社と個人負担とで万が一の時を支えている。有り難い制度だからこそ、正しく使われる事を願いたい。

私に安静は必要ない。しかし、重いものは持てないし、免疫が下がる時期の接客も難しい。発熱も吐き気も続いた。「退職」それが私の下した決断だ。

会社の上司は残念だと言ってくれた。けれども会社にも規則があって、その範囲内の事由でなければ、どうする事もできないのだと。女性には産前産後の認められた休暇以外にも、想定できない体調の変化がある。更年期障害や、療養後の体力低下も本人しかわからないことだろう。私はこの年齢でしか感じとれない不安と闘っていた。しかし、もっと高齢になれば、また別の問題がきっとできてくるに違いない。結果はどうであれ、治療中復帰できる職場や、待っていてくれる仲間がいることがどれだけ励みになっただろうか。

その中で迷って闘って妥協して、そして決断、それでもまた挑戦していく。それが働くという事だと学んだ気がした。

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