【 佳  作 】

【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
働くことを通じて学んだこと
岡山県  大 原 桜 子  45歳

保健師の仕事を一時的に休み、職場復帰し1年程経った時、熊本地震のニュースが流れた。過去に地震がほとんどなかった地域に起きた出来事。私の生まれ育った大分の隣県でもあり、私にとっては身近な出来事だった。今回は、余震が長く続き、大分にいる私の親戚も地震の状況を「ずっと船酔いしている様な感じ」と教えてくれた。小学生の姪は、小さな揺れにも敏感になり、用意していた持ち出し用のリュックを常に身近に置き、夜中でも揺れを感じると無意識にそれを持ち、避難所に行こうとしていたらしい。私の職場では、保健師が災害派遣に必要という事で要請を頂き、順次現地に赴いていった。現地では、学校の体育館が避難所となり、学校が休校となっていた時期もあった。元気に見えても子ども達の「こころの問題」が心配される時期が続いた。私が、行ったのは、ほぼ3か月が経過し避難所が閉鎖される時期だった。報道も落ち着き、世間はこの大変な出来事を忘れかけていた時期だったと思う。熊本駅を降りたときは、確かに復興の兆しが感じられた。しかし、被災地では、一部の復興とは、かけ離れた光景が見られ、言葉を失った。ただ、そこでは、家の再建、新しい生活に向け前向きに取り組んでいる被災者の方々の姿があった。同時に表面的には表れにくい「こころの問題」に直面することにもなった。しかし、もともとの土地柄からか心優しい穏やかな人ばかりで、大変な状況にも関わらず、私達の事を気遣ってくれたりもした。活動は避難所が閉鎖された事で自宅や仮設住宅で健康状態に問題がないかを確認するため訪問をする事が主だった。

プライバシーが保てる自宅、仮設住宅だからこそ聞ける話があった。話を聞くことしか出来ないというもどかしさを持ちながらの活動ではあった。しかし、話をするうち、「この数か月誰にも言えなかった思いを聞いてもらえてすっきりした」「まだまだこれからだけど、支援者達に元気をもらえるから頑張れる」と言ってもらえる事が、純粋にうれしかった。

また、避難所での生活を通じて、「今まで年寄りだけの家で交流が少なかったが、お互いの家に行き来するようになった」という人、「早く皆で集えるサロンの場を作りたい」という人もいた。「東日本大震災で熊本の人に助けられたので、今回の震災の支援に来た」という支援者にも何人も出会う事が出来た。人の強さ、人とのつながりの大切さ、温かさを短時間にこれだけ感じる事はなかった。

保健師という仕事を通じてたくさんの人と出会える機会をもらい、たくさんの事を学ばせてもらえた。

人は忘れやすく、目先の事に精一杯になってしまう。また、災害はいつ何時起こるかもわからない。人と人とのつながりが災害時にこそ大切だと気付かせてもらえる機会に恵まれたことは、私の人生にとって貴重な体験だった。この仕事をしていなければ出来ない体験だったかもしれない。世間では熊本地震への関心が薄れ、支援者も少なくなってきてはいるが、本当の意味での支援が必要なのはこれからなのではないと思う。

働く事を通じて、「働く事は生きることであり自分自身を見つめる事」だと年毎に感じている。また、職場で「自分の経験を伝えていく事」が大切だと思う。

 今回の事で単に自分のためだけでなく、次の若い年代に伝えていく事をこれからはもっと意識していかなければと強く思った。

 働くことは、「単に生活費を稼ぐための手段ではなく自分らしくどう生きる」かにつながっていくのではないかと思う。

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