【 努力賞 】
【 テーマ:多様な働き方への提言】
心に花を得るために
岡山県  徳 田 有 美 43歳

生きることに不器用だった私の人生の履歴書には何か所かの空白がある。いずれも、社会人になって就職するも、体調を崩し、退職せざるをえなくなったパターンだ。だから、私の履歴書の空白部分は、ひきころりという言葉が該当する時もある。とにかく、普通の人にできる社会人生活が私にはなじまなかった。

まず、最初に老人ホームに入社した。ところが、体力仕事が合わない上に、二交代制というシフトが合わなかった。次に就職したのは一般企業の臨時職員で、一年間という期限が決められていたため、慣れて早々に退職せざるをえなかった。それから、正社員として働きだすのだが、ストレスを発散することの苦手な私は、なぜかいつも心が悲鳴をあげた。ならばと、自宅にひきこもっている間に添削指導を請け負っていたこともある。ただし、これは不定期であり給料は雀の涙であった。

今は二つの仕事をかけもちしている。一つ目は、市役所で介護保険の仕事を嘱託員としてしており、高齢者の方宅を訪問し話を聴く仕事だ。これは高齢者の方に事前にアポイントを取って動いていくもので、直行直帰がゆるされるため朝十時から開始しても誰にも文句を言われず体に負担がかからない。市役所出社は週二回程度だ。

二つ目の仕事は、持っている資格を活かし、予備校の講師をしている。平日は、公務員として働いているので、講師職は主に土日に集中して入ってくる。講師は、授業準備をしていないと授業がなりたたないため、夜九時を過ぎると、頭を講師職に切り替えている。

この二足の草鞋生活を始めて約十年になる。利点としては、自分の都合に合わせてスケジュールを決めることが可能だという点、難点としては、固定給でなく歩合制なので給料に浮き沈みが出てしまうこと。また、ボーナスは一切支払われない。しかし、十年続いたということは、これが自分なりのベストの働き方なのだろう。

今、このように多様な働き方を経験して言えることは「自分に優しく、同時に厳しく」ということだ。身体は働く上での資本となるので、特に心に病気を抱えてまで、我慢することが良いとは私は思わない。心が悲鳴をあげたときには、それに従って、身体を休める勇気を持つべきだと思う。

しかし、一方で、どんな形態の働き方であっても、信頼され、必要とされる人材になることを目指さなければならない。そのためには、自分に甘くばかりはいられない。どんな仕事であれ責任感を持ち働くこと。自分の対応一つで、信頼は増えもするし、減りもする。自分という会社を潰すも繁栄さすも自分次第だということだ。

私の仕事は、実際にはかなりハードであるし反面給料は正社員の人から見れば劣っている。しかし、高齢者の方からの「貴女が来てくれて本当に良かった」といった一言や、受験生の「先生のおかげで合格できた」といった一言が、私を強くしてくれる。こうした心に与えられるものは、お金以上に人を豊かにしてくれるものだと私は思う。

多様な働き方が認められている時代になった。どんな形態であっても、それが自分にとって精神的に心地よいものであれば何よりだと思う。今な昔のような終身雇用制度がなくなりつつあるので、心に限界を感じるなら転職するのも一つの選択だ。そして、自分にあった働き方を模索していければ良いと思う。ただし、どのような勤労形態をとったとしてもメリット、デメリットは付きまとう。そこは了承しておかなければならない。

そして、真面目に働いてさえすればいつか、心に花を添えるような一言がふいに返ってくる日が訪れるのだ。その瞬間に、「働いてきて良かった」と心底思えるはずだ。それを心待ちにしながら、前向きな就業活動に励んでいってほしいと思う。

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