【 努力賞 】
【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
私の自分探し
群馬県  美 景 51歳

テレビニュースの一場面で私は息をのんだ。公用機から降り立った雅子さまの後ろにちらりと見えた制服姿のアテンダントが、あまりにも知人に似ていたからだ。雅子さまが一瞬振り返り彼女に話しかけた。会釈した彼女はやはり面差しが似ていた。画面はすぐに切り替わってしまったが先程の映像が目に焼き付き、しばらくはドキドキが止まらなかった。

大学で教育心理学を学び教師の免許までとったというのに、社会人デビューは自衛隊だった。初めての教育実習でこれは自分のやりたかったことではないとあきらめたのだ。心理畑に進もうと教授に相談し自衛隊を勧められた。幹部候補生学校の同期に不器用で要領の悪いHさんがいた。社会人経験者の彼女はどんなにへまをしでかしても不思議と肝が据わっていた。どんなにきつく叱られても「私にはもう、ここしかないんです。やるしかないんです。」と泣きながら教官に食らいついていた姿が忘れられない。卒業後それぞれの配属先へ別れ別れになった。私は結局二年足らずで職を辞してしまった。「厳しい訓練を受けてまで自分がやりたかったことはこんなことではなかった」という身勝手な理由からだ。申し訳なくて同期の誰にも連絡を取れずにそのまま音信不通になっている。映像の彼女がHさんだったのか確かめるすべはない。どうであれHさんはあのまましっかりと自分の仕事に取り組み、今もどこかで輝いているのだろう。

私はといえば故郷に戻り結婚し再びの職探し。大学で学んだ知識を活かせると相談業務の仕事についたものの、こちらもまた二年も持たずに出産のため退職した。働き続ける選択肢もあったのに「子育てと並行してまでやりたい仕事ではない」と、さっさとあきらめてしまったのだ。

育児には興味を感じていた。発達心理学のこれほどいい実習はない。自分の子どもを思いのままに、今にして思えば半ば実験動物のように扱ってしまっていた。子どもたちはかわいかったし自分なりに子育てを楽しんだ。それでいて教職を続ける学生時代の友人たちや、自衛隊時代の同期たちに強い劣等感を持ち続けていた。

その反動か、自分は研究者なのだ、児童心理や発達心理をふくむ子供の発達全体を見通す研究者なのだと大それた妄想を持ちながら育成会行事やPTAに参加した。子供たちの同級生やその家族の様子を追跡調査感覚で観察し、プライベートで不登校の相談に乗り、あらゆる角度から現代の教育に関する問題の事情通になれるのではないかと妄想を膨らませていた。相談員? 評論家? いや、いっそ小説家を目指そうか。

子どもから手が離れるにつれ、段階的に社会復帰を試みた。メール便の自転車を走らせながらいろんなことを考えた。学生時代のアルバイト。家庭教師に始まり、アンケート調査、文章の校正作業。何をやっても長くは続かなかった。気づいたのはやっぱり私は逃げていたという事実だった。何かしら理由を付けてはここではないどこかを求めてしまう。自分探しと言えばカッコいいが、探せば探すほど迷路にはまる。本当の自分なんてどこを探してもいるはずない。本当の自分はまぎれもなく迷っている今の自分でしかないし、今の自分の毎日の積み重ねが本物の自分を作っていくのだから。どんなに探したって小説家の自分に出会えるわけがない。

テレビで見かけたHさんの姿に衝撃を受けたのも、今の職場の中学校で先生方に劣等感を持たずにはいられないのも、すべて逃げ出した自分のせいだ。教育相談員として採用されて今年で9年目を迎えた。今度こそは逃げずに仕事を続けたい。働くとはその場にい続けること。逃げずに関係を育てることだとようやく気付いたから。

これからの皆さんもぜひ、目の前にある現実から逃げずに、しっかり働き続けてほしいと思う。今より居心地のいい場所なんてない。居心地のいい場所とは自分で周りに働きかけ一緒に作り上げていくものなのだから。

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