あすなろ会 会長賞

【テーマ:多様な働き方への提言】
選り抜きの人々
和歌山県  松 村 愛 生  24歳

 “大手企業に勤めること”そんな目先のゴールを追いかけつつあった私に母は言った。

「それがあなたのしたいこと?」

我が家は2人家族。7歳から父はいない。裕福な生活ではなかったものの、娘のやりたいことを応援すると言い、中学高校は行きたかったインターナショナルスクールに、大学は一人で上京させてくれた母に感謝が耐えない。だからこそ恩返しをしたいという気持ちでいた私は、いつの間にか社会の波にのまれ、“大企業でバリバリ働くことが親孝行になる”そう思うようになっていた。

「仕事・お金・家族・趣味・健康、色々あるけれど、あなたが大切にしたいものは何?」

母の言葉で目が覚めた私は今“仕事ができるエリート”の道から離れた働き方をしている。「せっかく勉強してきたのにもったいない」と周りから言われることもあったが、理解ある優しい職場で働き、定時に帰宅できるため、大切な家族との会話や自分磨きの趣味に時間を使う余裕があるのは幸せだ。80年ほどある人生を、どう色づけて生きていくかを考えたとき、学業や仕事は自分を成長させる1つのステップと言えるだろう。しかし就職活動中だった私は、それをゴールだと思い込み、人からの評価ばかりを気にして、自分のやりたいことを見失っていたように思う。自分の正直な気持ちを貫くには少しの勇気がいる。世界には、毎晩会社で残業をしたり、資格を活かして働いたり、定時で帰ったり、パートをしたり、自分で新しい仕事をつくったり、パフォーマンスをしたり、目に見えて稼ぎを出さないと忘れられがちだが、家事をして家族を支えたり、勉学に励み未来の社会貢献につなげたり、ボランティアをしたり、色々な働き方で生活をしている人がいる。多様な価値観と生き方があるからこそ良いものが生まれてきた。良い大学に入り、良い企業にいくことがやりたいことにマッチしていたら素敵だと思う。でもみんながみんなそうである必要はないのだ。

私はいわゆるゆとり世代の人間。このような文章を書くと「これだからゆとりは」と言われてしまうのかもしれない。詰め込み教育では、“勉強ができるエリート”を育てようとするあまり、テストでいい点を取ること自体が目標になってしまい、将来やりたいことやその達成方法を“考える人”がいなくなる危険性があった。そこで誕生したのがゆとり教育。そのゆとり世代が社会人になった今、世間から「プライベート優先で付き合いが悪い」と文句を言われることがしばしばある。確かに、社会の流れに乗ってうまく生きることは大切だ。しかし、自分や身近な人を不幸にしてまで業績アップや経済成長のために働くことは難しいだろう。人が心で動く以上、プライベートや家庭の充実は、働くことのモチベーションを高める上でも大切だと言える。“飲みニケーションによって仕事の評価に影響がでる”そんな働き方以外の価値観を提示させたゆとり教育は“心を大切にできるエリート”を育んだのかもしれない。「自分たちが若かった頃はみんな我慢してきたのだから」と言って次の世代にも我慢をさせるのは負の連鎖だ。それを断つことが、より良い社会づくりに繋がるように感じる。

20年前まで、パソコンも携帯電話も普及していなかった。当時仕事で求められたスキルと今仕事で求められるスキルは異なるだろう。今の社会で生きる力=未来を生きる力とは限らない。まだ社会に出て3年目の私だが、誰かに合わせるだけでなく自分で考えて、精神面でも技術面でも変わりゆく環境を受け入れられる大人になりたいと思う。

「あなたの幸せが一番の親孝行。だから好きに生きたらいい。」

そう言って個人の価値観を尊重してくれる母。

バリバリ働き“仕事ができるエリート”は評価されやすく、実際にまぶしい存在だ。しかしその一方で、多様な働き方を提示したり、認めたりして、“心を大切にできるエリート”もまた、私には輝いて見えるのだ。

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