公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞

【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
□+□=働くこと
群馬県  借金まみれの大学生  18歳

高校三年生の夏、母は倒れた。一瞬のことだった。目の前で顔を歪ませながら胸を抑え、膝から落ちてゆく姿を私は忘れない。母は仕事を掛け持ちして働いていたため、十分な休暇はとれず睡眠時間も毎日3時間ほどしかなかった。父は企業に勤めていたが、不慮の事故により退職せざるを得なかった。そのため、母が働かなくては生計を立てていくことが厳しかった。しかし、母は人一倍働き、私たちを養っていこうとした。職場でどんな嫌味を言われようと、どんな悪態をつかれようとも、毎日仕事へ行き、家では気丈に振舞っていた。母は肉体的にも精神的にも疲れ切っていた。私は働くことについて本気で考えさせられた。

元々バイトをすることは禁止されていたため、私がバイトしたいという度に、勉強に集中しなさいと怒られていた。しかし、こうなった今、そんなことは言っていられないことはゆうに想像がついた。とは言えバイトをしようにも母が心配であり、長くは家を空けられない。家事も母の代わりにこなさなければならない。それでもやっぱりバイトをして少しでも家計を支えたいと思ったから母に相談した。すると母は「ママのせいでごめんね」と涙を流した。怒られると思っていた。まったくもう!と言っておでこをぺチンと叩いてくれると思っていた。でも母は泣いた。こんなに弱っている母の姿が不憫でならなかった。私は高校生でまだ未成年で…自分の不甲斐なさに怒りすら覚えた。このままでは大学へ進学することも厳しいだろう。しかし、娘を大学へ入学させることは母の夢であった。だからとても悩んだ。毎日毎日何が正解なのか悩まされた。悩んだ末に大学へ進学することを決めた。それが母にとって一番の薬だと考えたから。奨学金をたくさん借りて大学生になった。借金まみれの大学生になった。母は、入学式にもらったパンフレットを今でも大事そうに保管している。

 大学へ進学し、バイトを始めた。これは私の強い意志で決めたことだった。私の職場は母の職場と違い、とてもいい環境だった。従業員のみんなが笑顔で楽しそうに仕事をしていた。そりゃ文句の一つや二つくらいたまには出るけれど、みんなこの居場所に満足しているようだった。仕事も順調にこなしていけるようになり、職場での話を母に話すようになった。すると母も自然と自分の職場の話をしてくれるようになった。そこで聞いた話は私の想像を絶するものだった。陰湿なことをされ、悪口を言われ、こんなのいじめじゃないか!と叫びたくなるようなことだらけだった。しかし、母はとても悲しそうに笑いながら「こんなものよ」と呟いた。私は唖然とした。こんな世の中が広がっていることに、それを仕方ないと諦める人がいることに。そんなの良くないと言い張っても母の意見は変わらない。

「あなたより少しは長く生きてきたからわかるのよ。そんなにいい世の中じゃないの」

と母は続けた。「あなたはいい職場につけてよかったわね」と笑っていた。それが私には怖かった、恐ろしかった。

 働くことは諦めることなのだろうか。働くことは苦しいことなのだろうか。きっと誰しもが、作文で「将来の夢」について目を輝かせて発表しただろう。あの輝きは幻だったのか。働くことを苦にしてしまったら、それを受ける人間は幸せになれない。こんな職場だけど働かなくては生きていけないからと我慢している人は母以外にもたくさんいるだろう。この問題をそのままにしていていいのだろうか。いや、いいはずがない。もっと働く人に寄り添った職場を。女性が活躍できる場を。働くことはつらいことじゃないということを。私の母のように倒れてきた人も、いつか働くことに喜びを感じられるようになってほしい。働くことは我慢ではない。諦めることでもない。楽しいことなんだ。

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