【 入 選 】

【 テーマ:多様な働き方への提言】
まずは「応援」してほしい 〜障害者雇用のために〜
山口県立山口高校通信制  佐 竹 真 依  17歳

「三つ子!真ん中の子は障害を持っとるんかー、お父さんお母さんは大変やろうね」

私の家族構成を聞いた人は、皆一様にこう反応する。

 私は三つ子の三番目として生まれた。女男女の順。真ん中の兄は先天性の脳性麻痺を患っており、一歳二ヶ月の頃から離れて暮らしている。私にとって兄は車椅子に座っているのが当たり前だったし、兄に会いに行くとそこに居る子の9割は車椅子だった。

 面会時や外泊・外出時に、私と姉、どちらが車椅子を押すかで競争をした。たまにしか会う事の出来ない兄に世話を焼いてやれることが嬉しかったのだろう。

 だが小学校高学年頃になると、車椅子を押す事はおろか、兄の傍を歩く事さえ嫌になった。周りからの好奇の視線を恥ずかしいと感じたからだ。子供はもちろん、いい年の大人までもがあからさまな視線を寄こした。もっと言えば視線を寄こすだけなら良い方だ。車椅子が通る時、どうしても場所をとってしまうからか、側を通り抜けながら舌打ちをする人や文句を言ってくる人もいた。もっと小さい頃はそれでも堂々としていられたが、十歳を過ぎた辺りからは兄と一緒に歩きたくないという思いが強くなり、何かと用事をつけては兄に会いに行くことを拒んでしまった。

 それでも兄は私の事を好きでいてくれて、私が会いに行くのをずっと待っていてくれた。今では私も兄の事が大好きだし、兄の為になる職業に就くことを考えている。

 人種差別、性別差別。それらと同じようにハンデを負っている人への差別ももっと排除すべきだと私は思う。「ノーマライゼーション」といって生活面での障壁は確かに低くなってきているのかもしれないが、根元は変わっていない。車椅子を押している私達に向けられる好奇の視線。もとい、兄に対する周囲の冷たさ。変わっていない根元とは、社会全体の「障害者への反応」だ。

 障害者と慣れ親しんだ環境に居ない限り、障害者に対して抱く第一印象は健常者に抱くそれとは異質なものになる。それによって、先に記したような反応をとるのだろう。設備は改善されても、本当のノーマライゼーションとはいえない。社会全体の理解を変えてから初めて、皆が平等に暮らせる社会だと言えるのではないだろうか。

 兄は四肢が不自由なため、働く事もきっと出来ない。でも看護師になりたいという夢を抱いている。兄自身、看護や介護の必要な身体なのに、と馬鹿らしく思う人もいるかもしれないが、それでも私は兄の夢を応援する。具体的に何が出来るのかも、何をすれば良いのかも全く分からないが「障害が有るのだから無理だ」という風には考えない。 

 障害者の雇用について、具体的な策を急げとは言わない。障害者が働くことを、ただ応援してほしいと思う。私のように何が出来るのか分からなくても、応援は出来る。ハンデを受け入れ、応援してくれる人が増える事で社会全体の「障害者への反応」も、今のものから理解のあるものに変わってくるのではないだろうか。

そういう一人ひとりの「応援」から障害者への待遇は変わっていくだろう。そうなれば障害者雇用も良い方へ向かうと私は信じている。本当のノーマライゼーションの実現には皆の応援が不可欠なのだ。どうかまずは「応援」してほしい。

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