【 入 選 】

【 テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
波白く
神奈川県  仲 地 慶 祐  26歳

「ばかやろう!何やってんだ!」

 荒れる海上で僕は大きく揺れる船の上で必死にバランスをとりながら、太い綱や網を手繰りよせていく。一手でも間違えば機械に身体を持っていかれ、大怪我では済まない傷を負うだろう。親方の怒号が飛び、今日も魚をひたすらに追いかける。そう、僕は漁師だ。

 大学四年生にもなった頃、僕は初めて精神科医を訪ね躁鬱と診断された。日々の流れの中で、感情の浮き沈みが激しかった。ある時はとても元気で、まるで世界は自分を中心に回転し、やる事なす事全てが輝ける未来の自分への布石のように思えたが、数日後には部屋で引きこもり、世界は死を待つだけの独房のように感じることさえあった。通院しながら、どうにか大学を卒業した僕は、もちろんロクな就職活動もしておらず、行先は自分でどうにかするしかなかった。通っていたのが国立大学なので、周囲の友人らは世間的には安定した企業に入社し、それぞれの人生を真っ当に歩んでいるように見えた。

(…何かしなきゃ)

 躁鬱も完治しそうな頃合いで、ようやく自身の置かれた状況が分かってきた。

 僕は幼いころから海や魚が好きで、それに関する勉強をずっとしてきた。しかし、広い社会の中では、それらの知識が役に立つ業界は非常に狭く、就職浪人のような僕を受け入れてくれるとこなど、ほぼ皆無だった。しかし、ネットを使って毎晩しつこく色々と調べていると、面白い仕事はあるもので、釣り船へネットを用いてお客を集める為の営業職が見つかったのだ。すぐにエントリーし、運よく数週間後には入社したが、「漁師なんて、頭が悪いから上手く口で言って契約をとりなさい」入社して間もなく遠回しにそんな風に言われて僕はガッカリした。魚を獲るのが好きな自分にとって、漁師は尊敬する相手であったからだ。しかし営業職自体は楽しかった。あらゆる港に赴き、実際に釣り船を経営する漁師の方と話をする。その中で、どうすればお客が集まるのかを漁師さんと相談する。

「今日も金にならねぇ仕事だったよ」

ある日、営業に行った先の漁師がそんな言葉を言った。僕は愛想笑いを浮かべて、適当に相槌をうっていたかもしれない。しかし、その次に聞いた言葉でハッとさせられた。

「けどな、漁師はこの世で一番の仕事だと俺は思う」

 僕はどうだろう。今の営業職は本当にやりたかった事なのだろうか。尊敬すべき相手を格下に思えと会社に言われ、売りたくない商品の提案をする毎日。きっと何処かで折り合いがつくのかと思っている自分は、果たして本当の自分なのだろうか。その日の夜、帰宅した僕は中学の頃に書いた卒業文集を開いた。恐ろしいほどに汚い字で書かれた将来の夢。

俺はいつか漁師になる。

 燃油の高騰、魚が安くて生活が成り立たない、後継者不足、第一次産業の衰退。中学校を卒業して以来、僕の夢は否定的なニュースばかりで、いつからか僕は夢を諦め、記憶の中に埋没していった。それが十年近い時を経て、再び昔の夢を追いかけようとしている。手元には人に自慢できる物は何もないが、現時点で種々の漁師が抱える現実的な問題と、それを打破するための知識と考えは揃っている。皮肉にも漁師を格下に見ていた会社で育まれた物だ。

「俺、会社辞めて漁師になります」

社員らに白い眼で見られながら退職し、数週間後、僕は神奈川のシラス漁船に乗る事となった。

 二年後。大きなエンジン音が鳴り響き、船は港へ向けて全速で走っている。

「見ろ!富士山が綺麗に見えるぞ!」

漁の途中では鬼のような親方も、ひとたび漁を終えると豪快に笑う。傷だらけになった自分の手を見ながら、自分の持てる全てを出し切った今朝を思い、それに応えるように獲れた多くの魚と海に感謝する。海の上では善も悪も無く、、風や飛び散る潮が顔に当たり心地いい。

船首で切り裂いた波は白く、僕を研ぎ澄ます。

もう悩む日々は無い。遠回りした日々が今の僕を天職に就けた。

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