【 佳  作 】

【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
跳ね返せ!
愛媛県  浅 田 里 菜  18歳

ドロドロとした油汚れに、酸っぱい臭いがはりつく作業服。ねずみ色の作業服の、大きな背中におぶされて今年で十八年になる。臭くて、汚くて、でも一番にかっこいいお父さんの背中。しかし職業をランク付けする人にとって作業服は、底辺職業の証らしい。この言葉を借りれば、高専に通う私は将来、底辺職に就くことになる。

この言葉を、私はアルバイトで働くビジネスホテルで耳にした。私の住む町は工業都市ということもあり、スーツ姿のサラリーマンだけでなく工場で働く作業服姿のお客様も多く利用する。色とりどりの作業服を、私はフロントからたくさん眺めてきた。私はそういったお客様の作業服姿に、今も汗を流しているであろう父の姿に重ねる。すると自然に「お疲れ様でございます」と、言葉が雫れおちるのだ。もちろんこれは、他のお客様でも変わらない。チェックインまでの時間が、お客様のまぶたの上から、すり減った靴底から、スーツの襟ぐりの上から、色の少しくすんだ作業服の上から、すべり落ちてゆく。私はそんな時間の一つ一つをとても愛おしく思う。働く人の頑張った時間というものは、きらきら輝き未来を照らすものだ。今日も世界中で瞬く。

私はこのアルバイトを通して、数えきれないほどたくさんの働く人々を見てきた。しかし今も、バターのように心の中に染みこんで、そして固まってしまった言葉がある。雨の日だった。先にチェックインを済ませた作業服の男性が、フロントに一つしかないエレベーターに乗りこんでいた。彼は奇遇にも父と同じ、ねずみ色の作業服を着ていた。胸元のマークと、雨でずぶ濡れになっていた所だけが父と違っていた。彼がエレベーターの閉ボタンを押そうとした、その時だ。後ろからチェックインを終えたらしいスーツ姿の男性が、急ぎ足でエレベーターに滑りこもうとしたのである。しかしその男性は、開ボタンを押す彼を見るなりシッと手で払った。唖然とする私には、こう言ってのけたのである。

「ああいうのもここ、泊まりよるんですか」

ああいうの。そう言われた彼は、無言でエレベーターの扉を閉ざした。そのまなざしは、私やスーツ姿の男性よりも、ずっと先を見すえているように見えた。私は目を見開いたまま動くことができなかった。扉が閉まる時に見えた、真っすぐで凜然とした、力強い瞳が深く心に突き刺さった。

「底辺職の人間は目つきも悪うていかんのう」

男性は何でもなかったようにそう吐き捨て、エレベーターの中へ吸いこまれていった。私は心臓がキュッと締まり、血が行き届かなかったのか、全身が冷えていくのを感じていた。恐ろしかったのだ。人の職業にラベルを貼り付け、更にそれをランク付けする。仕事の内容もその人の中身も知ろうとせず、ラベルで人を判断する。私もいつかラベルを貼られて蔑まれる日が来るのだろうか。作業服を着た父の背中にも、ラベルが貼られているのだろうか。途方もなく悲しくなった。しかし脳裏には、あの凛と強いまなざしが蘇る。私も負けたくない。ラベルになんか、絶対に。

職業とは、求める人がいるからこそ成立するものだ。働くということは、需要と供給で回る歯車のネジになるということ。一つ一つが唯一無二の大事なパーツであり、そこに底辺も頂点という概念も存在しない。多様な働き方があり、それぞれに適したユニフォームを着る。どうしてユニフォームの違いで人を判断してしまうのだろう。自分とは違う働き方を、どうして受け入れられないのだろう。私はスーツも素敵だと思うし、同じくらい作業服もかっこいいと思う。どんなに臭くて汚くても、お父さんの背中は世界一頼もしい。

私もあと二年で社会のネジの一つとなる。私は、どんな時も内側を見つめられる大人になりたい。それから辛いこと苦しいこと全てを跳ね返す、強い背中を持ちたい。私の背中はいつか、誰かの瞳に格好良く映るだろうか。

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