【 佳  作 】

【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
母に胸を張りたい
東京都  星 野 芽 衣  24歳

母に胸を張りたい。その思いだけで私は社会人になって3年間生き抜いてきた。

私の母は地方公務員だった。小さい頃から家事と仕事で大忙し。それでも私に限りない愛情を注いでくれていた。私がいじめられていることを知った時、二人でどうすればいいのか一緒に考えてくれた。私が進路に迷った時、自分の好きなことをすることを許してくれた。背中を押してくれた。父を一緒に説得してくれた。私は母に守られていた。

 母の元を離れたのは大学入学の時だった。私は中学生のころから役者になりたかった。そして役者になるために大学を機に上京した。母はいつだって私を応援してくれていた。様々な経験をして社会人になった。私は役者で生計を立てていくことを決めた。母は背中を押してくれた。私はこの人を失望させてはいけないと思った。

 社会人1年目。問題はすぐに起きた。駆け出しの役者で食べていけるはずものなく、私はバイトをしていたがすぐに年金が払えなくなった。保険料が払えなくなった。そして、とうとう電気とガスが止まった。最後に水道が止まった。家賃は滞納していて大家さんからも催促が届く。私は一瞬考えて母に連絡をした。母は笑いながら家賃の援助をしてくれることになった。私は自分が情けなかった。それでも私は役者をしたかった。

 社会人2年目。何とか生活ができるようになった。バイトではなく派遣の仕事を始めた。毎日9時から17時までなれない事務作業をし、帰ってきてからは芝居の稽古。土日はバイトをした。母からの仕送りも止めてもらい、家に少しずつお金を送れるようになった。生活はできたが私の体はボロボロだった。母はいつも心配そうにしていたが、何も言わずに応援してくれた。

 社会人3年目。生活が安定してきた。1年目の時にしていた借金の返済も終わった。役者の方も仕事が入り始め、母に報告すると喜んでくれた。私はうれしかった。そんなとき、母から一言言われた。

「私入院するの」

寝耳に水だった。母は最近体の調子が悪かったらしく病院に行ったところ、詳しく検査することになったそうだ。私は、長年母に心配をかけていたこともあり、とても動揺した。しかし、母は、笑って言った。

「私、ずっと忙しかったから休養すると思ってゆっくりするわー」

地方訛りの言葉でそういうとすぐに電話は切られた。

私は、すぐに実家に帰る手続きをとった。仕事もちょうどひと段落しているし、それでもいいかと思った。私は、母の元に走った。

飛行機で2時間ほど、そこから電車で2時間の道のりを6年ぶりに帰る。母に会いたかった。仕事にかこつけて6年も会っていない母に、会いに行った。母は快く迎え入れてくれた。病室で私の出演しているラジオを聞いていたらしく、病室では私は有名人だった。母は自慢げに私をみんなに紹介してくれた。私はそれを見てハッとした。

 私は胸を張れるように頑張ってきたけれど、母はそんなこと望んでいなかったのだと思った。私が元気に頑張っている姿を見るのが好きだと昔言っていたことを思い出した。まだまだ未熟だけれど、私は母にほめてもらうだけじゃなくて、私に関わった人を楽しませようと思った。

 母は今手術中だ。成功する可能性の方が高い手術だから心配はないと笑って言っていた。母の手術が終わったら私は東京へ帰る。そしてまた一人で仕事をする。私は仕事って一人でするものだとずっと思っていた。でも、確かに作業は一人でしているのかもしれないけれど、私を見守ってくれていたり、私のことを考えていてくれる人がいるということが分かった。3年かかってやっとわかってきた。これからもっとつらいこともあると思う。悔しいこともあると思う。でも私は、根底には母に胸を張ってこの仕事をしていると言いたい。だから、周りの人に感謝しながら働こうと思った。

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