【 努力賞 】
【テーマ:多様な働き方への提言】
アンチ・ステレオタイプ
埼玉県  飯 塚 陽 美  21歳

いつも家で待つ優しいお母さんと、美味しい手作りのおやつ。これは私が小学生の頃、最も自慢に思っていたことだ。母が専業主婦として、私たち4人の子供を育ててくれたことにはいくつかの理由がある。まず、私の父は早くに母を亡くしているので、自分の子供たちには母親との時間を沢山与えてあげたいという思いがあったということ。また母も、共働きの家庭で育ち、時には寂しい思いをしたことが記憶に残っているようで、母と父の子育てに関する意見が一致したため、母は専業主婦になったのだ。先にも述べたように、私は母のような存在をいつも嬉しく思っていた。しかし、私は幼い頃から、新聞記者や編集者というような一般的に生活リズムが一定ではない職業に関心を抱いていた。そのため、母と同じようなことを自分の子供にしてあげることは難しいということも成長するにつれ気づき始めていた。そのような諦めから、いつしか私は母とは真逆の女性像、“バリバリ働き、激務もこなすキャリアウーマン”を目指すようになっていた。

しかし、理想の母親になれないのであれば、理想の職業人になるという私の目標もあることをきっかけに揺らぎ始める。私は、高校時代南米のチリに留学しており、その時に出会ったチリの友人とペルーのマチュピチュへ旅行した時のことである。マチュピチュはご存知の通り、日本の裏側に位置する。即ち、日本からマチュピチュへ出向くのが一番遠い。しかし、マチュピチュにいる観光客の多くは日本人であった。私は久しぶりに見る日本人にただ興奮していたが、チリ人の友人は疑い深くこう私に尋ねた。

「なぜ、日本人の観光客は学生と高齢者しかいない?」

確かに、見回してみると他国からの観光客の年齢層は幅広いが、すれ違う日本人観光客は皆大学生か60代後半の方ばかりだった。また、話しかけてみると決まって「就職する前に、やりたいことをやっておきたくて」や「退職したので、これまで出来なかったことをしにきた。」と口をそろえた。

チリ人の友人は、日本人の大学生が「就職したら年に数週間しか休みがないので、マチュピチュなんて来られない」と言うのを聞いて悲鳴すら上げていたが、私にとってそれは当たり前のことにも思えたため、気にすることはなかった。

しかし、後に私は友人が悲鳴を上げていた理由を理解することになる。私は日本へ帰国後、大学に進学し、アルバイトでは憧れの職業であった編集者のアシスタントをする機会に恵まれた。仕事の内容には非常に満足していた。そのため夏休み中は、ほぼ毎日満員電車に乗り出勤していたが、ものの数週間で身も心も疲れ切ってしまい、原因不明のめまいに悩まされるようになったのだ。そこで私は、自分が理想とする職業人になることは難しいことを悟ったのだ。

今日の日本社会では、仕事を続けつつ自身が理想とするような母親になることは難しいし、逆に職業人としての人生を選択すれば、60代後半まで自由な時間は持てない。また、自分の体はそんなに強くない。そんな時、これまでいかに私はあるべき母親像や働き方の典型的な例に縛り付けられ、多様な働き方・生き方に目もくれていなかったということに気が付いたのだ。それは私自身の問題であり、社会の問題でもあろう。現在の日本社会では一般的な働き方・生き方から逸脱している人への評価は低い。また育児か仕事かという取捨選択を求められた弊害として、多くの人々の才能や可能性が潰されていることも事実であろう。全ての人々のライフスタイルを既成概念の中にねじ込ませるような社会では、遅かれ早かれ限界が訪れると私は考えている。今後、多様な働き方・生き方が認められる社会が構築されるために、まずは私自身が既成概念から抜け出した働き方・生き方を模索し、実践していきたい。

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