【 努力賞 】
【テーマ:多様な働き方への提言】
父の姿
山形県  n.nanami  23歳

わたしの父はどんな仕事をしてきたのだろう。そんなことをふと考えた。父は学生時代、2つの会社に落ちたが3つ目に受けた小さな編集プロダクションで雇ってもらうことになった。しかしその編集プロダクションに勤めたのは1年間だけ。学生時代の友人が勤めていた某出版社に紹介してもらいそこでアルバイトも掛け持ちしていたという。父は編集プロダクションよりもアルバイトのほうが給料がよかったという理由でフリーランスのライターになった。そのころはもう母と結婚をしている。若かったとはいえ、先のこともわからない父と母にとって大きな決断だったに違いない。そんな父は今もフリーランスのライターとして仕事をしている。家族をもった今もそれは変わらない。わたしが子供のころ「お父さんの仕事」というものを答える時すごく迷った。なんて言えばいいかわからなかったので適当に答えていたと思う。父は家で原稿を書くことも多かったから土日関係なく家にいた。世のお父さんと言われる人はみんな朝早くから出かけていくのにうちのお父さんは家にいるなぁと思ったりもした。わたしが小学生の高学年になってもいつもしつこくかまってきたり、いつでも家にいるので、時には「家に居すぎだよ」と冗談を言ったりもした。ある時父は京都で暮らすことが決まった。単身赴任である。父は長年の経験をかわれ、ご縁に恵まれ、京都の芸大に呼ばれたのだ。わたしはその頃のことをまったく覚えていない。気が付くとずっと家にいた父があっという間に家からいなくなってしまった。

あれから10年。父はまだ京都にいる。京都での生活は父に合っているようだった。わたしが京都に父を訪ねに行くと、父がおすすめの散歩コースを歩きながら美味しいお店に連れて行ってくれたり、有名な本屋さん、カフェや飲み屋さんに連れて行ってくれる。ものすごく楽しそうに接待してくれる。そんな様子を見てわたしはほっと安心する。そんな中、母から聞いた言葉を思い出した。「パパはね、きみたちが小さいころ寝ずに仕事をしていたんだよ。いつも深夜にタクシーで家に帰ってきて、きみたちの寝顔を見て一緒に添い寝して、また仕事しに行ってね。取材に行ったり原稿を届けに行ったり。昔はパソコンがないから原稿を直接編集部にもっていって。Faxが世の中にでてくるとFaxを買うように言われ、ワープロを買うように言われ。時代の変化と共に仕事をしていたね。忙しくて、小学生が夏休みの最後一気に宿題を片づけるような日が毎日続いてたんだよ。懐かしいなぁ」と。その時は「へえ」と思っていた。

しかし今では父が家にいられる時間が増えたのは仕事の仕方が少しばかり便利になったからだったからと母の言葉で気づいた。家にいるとはいえ、常に忙しかったのだ。父と毎日家で会えることをもっともっと喜んでいればよかったな。父は昔から仕事で辛そうな顔を家族に見せたことがなかった。それよりも必死に向き合っていて、楽しそうだった。今でもその姿は変わらない。

わたしが就職活動をする時が近づいていることもあり、父の仕事に対する姿勢と家族を支える力強さに尊敬する気持ちは日に日に高まってきている。わたしはどうやって仕事というものに向き合っていくだろう。わたしは父をお手本にしようと思っている。

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