【 努力賞 】
【テーマ:仕事を通じて実現したい夢】
自分を認めること
北海道  児 玉 由 貴  25歳

私の仕事は、ごぼう茶を作ることです。体調を見ながら、無理をせず週に3、4回ほど通っています。勤務時間も短く、一日3時間ほどしか働いていません。乾燥ごぼうをひたすら焙煎する作業は、単調でつまらなく感じる時もありますが、今の私にはとても合っていると思っています。うまくごぼうに色が入った時は密かな達成感があります。

 しかし、十代の頃の自分に「今はこんな生き方をしているよ」と伝えたら、きっと絶望するでしょう。必死に勉強して、周りに置いて行かれないように常に気を張って、とにかく「みんなと同じようにしなくちゃ」と焦っていました。就職して、バリバリお金を稼いで、自立する。様々な困難に打ち勝って、人として今の自分の何倍も成長しなくては。このような考えに囚われていました。そして、そうできなければ、生きている意味などないと思っていました。

 『こうならなければいけない』という理想像はありましたが、現実の自分は全く木偶の坊です。次第に、生きること自体がよくわからなくなってきました。人と合わせようとすると、身体が軋むようでした。みんなと同じようにしなくちゃと思えば思うほど、息苦しくなっていきました。

 そんな中、高校生の時に演劇部に入り、のめり込みました。大学に入学してからも演劇中心の生活を送っていました。理想の自分になれないという苦痛は相変わらずつきまといましたが、演劇をしている時は、一瞬自由になれた気がしました。

しかし、大学を卒業する頃に身体を壊し、大好きな演劇を諦めました。就職もできず、地元に帰ってきた私は、もぬけの殻になっていました。食べること、眠ることも難しくなりました。しばらくは外出が恐怖で家にひきこもっていましたが、このままではいけないと、いくつかのアルバイトに挑戦しました。が、どれも続きません。人と視線を合わせること、挨拶すること、このような社会人として当然のことが、怖くて怖くてたまりません。自分が大嫌いで、責めてばかりいました。

 しかし今現在、そんな自分が少しずつ変化しています。人との出会いによって、ほんの少しずつですが、確実に変わってきていると思います。地元に帰ってきてから、私と同じような思いをしている人にたくさん出会いました。その方々には色々な価値観や経験がありました。そして、私を認めてくれる人が意外といました。世間的には、私はとてもダメな人間かもしれないけど、もしかしたらいいところもあるのかしれない、世の中にいてもいいのかもしれない。こんな風に少しだけ思えるようになりました。

 十代の頃の、たくさん勉強していい仕事をして、みんなに誇れるようなかっこいい大人になりたい、という夢は叶いませんでした。私は愚鈍で臆病です。そして、これから先こんなことをやり遂げたい、という立派な夢や目標もありません。ただ、今のごぼう茶の仕事を続けて、徐々に働く時間を増やしたい、という地道な目標はあります。

 将来のことは何もわかりません。今、バリバリ稼ぐ、という働き方にはほど遠いので、果たして老後は大丈夫なのか。そもそも、また仕事を辞めてしまうのではないか。そんな不安は尽きません。もちろん、自立して一人で生活を賄えるようになりたい、というのは理想です。しかし今は焦らず、自分のペースで働こうと思います。毎日おいしくご飯が食べられて、夜はぐっすり眠ることができて、笑い合える相手がいれば、とりあえずは良しとします。この生活を続けることが、私の今の夢です。

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