【 努力賞 】
【テーマ:多様な働き方への提言】
働き方改革のその先に
高知県  夏 海 麻 衣  26歳

「ワーク・ライフ・バランスの推進」

「育児短時間勤務制度の拡大」

「長時間労働の削減に向けた取り組み」

「ゆう活の導入について」

私の働く職場では、同じ係に育児短時間勤務制度を利用している女性がいる。三十代前半の正社員の女性で、三歳の子どもがいる(以下「彼女」と呼ぶ)。彼女は毎日5時15分に帰る。必ず帰る。時短勤務制度を利用している者は、原則残業をさせてはならないことになっているのだ。一方で独身である私の帰宅時間は、夜十時を回る。係の中でも仕事の割り振りが多いため、私が5時15分に帰るなんて到底無理な現状だ。

ある日、同じ係の中の一人が、突然病気休暇を取り長期間休むことになった。病休で休む者の人員補充はなし。残った者は彼女と私しかいない。長期で休む人が担当していた仕事は、私と彼女の二人で割り振って行わなければならなくなった。

「私、子どもがいるのでこの仕事できません」

「残業できないんでこれも無理です」

彼女から発せられた言葉には、制度に守られた裏付けがあるので言い返せない。上司や周りの者だって、仕事分担が極端に偏っていることはわかっているが、黙っている。制度に守られることのない私が、無条件にさらなる負担を抱えることになったのだ。

しかし、「子どもがいるからこれ以上仕事を増やせない」と主張する彼女は、勤務時間中に外でお散歩をしている。「残業できない」と言いながら、パソコンの画面には仕事に関係のないインターネット画面が開かれている。廊下で長時間雑談をしている姿も、頬づえをついて長い髪の毛をくるくるといじっている姿も見かける。一体どちらがこれ以上仕事を増やせないのだろうか。

年度末が近付くと、帰宅時間は夜十二時になった。深夜四時を回ることだってある。一方の彼女は5時15分で帰り、勤務態度は変わらずだ。周囲もそんな状況を見て見ぬふり。それでも、やらなければならない仕事があるため私は逃げるわけにはいかない。

決算期を終え、仕事がひと段落した頃、「あの量を最後までよく頑張ったね」「やり切って偉い」と、そんな言葉を掛けてくれる優しい人がたくさんいた。

そして六月の賞与の評価欄には、通常では見ることのない「優秀」という文字が刻まれていた。年度末における残業時間や、長時間労働で大量の業務をこなしたことがきっと評価されたのだ。

賞与における「優秀」という評価はもちろん嬉しい。あれだけ頑張ったのだから、という気もしないことはない。けれども、褒められることに対してやはりどうしてもしっくりこない。なぜならば、長時間労働を称賛するということは、それを肯定していることになるのではないか、という疑問が残るからだ。それは、「よく頑張ったね」と言う人も一緒だ。そこを肯定してはならないのではないか。そして、長時間労働を褒められたことを、素直に喜んではならない。どんなに褒められようが、「こんなの駄目だ」と反発する気持ちを頑として持っていなければならない。

やはり長時間労働に対する意識は変わっていない。長時間働くことが美徳だと思う日本人の潜在意識を変えていかなければ、どんなに制度を工夫しても実質の働き方は変わらない。「ゆう活」や「ノー残業デー」を取り入れても、掛け声だけでその実態が伴っていないと全く意味がない。そして、制度の拡充を目指すということは、制度の導入後もフォローが必要だという想像力を失ってはならない。時短制度が導入されれば、時短分の仕事は周囲が負担することになるのだ。

「制度を使った者勝ち」「取得率を上げればおしまい」にならないように、どんな実態で運用されているのかを見極め、「資生堂ショック」に見るように、時に見直していくことだって必要ではないか。多様な働き方の実現にゴールはない。一部の者だけの優遇制度や名ばかり運用ではなく、全ての人にとって働きやすい社会にしようと努力し続けることが大切なのだ。

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