【 努力賞 】
【テーマ:仕事を通じて実現したい夢】
子どもがあこがれる存在に
横浜市立大学3年  さとK  26歳

 中学生のころ、私は「大人になりたくない」と思っていた。大人になったら働かなければいけない。働くことには責任が伴う。そしてなにより大人たちはみんな楽しそうじゃない。心の中ではいつも「大人たちはなんで怒りっぽくて、いつもつまらなそうなんだろう」と思っていた。当時の中学の先生が言っていた。「給料って言うのは仕事をしたことによる我慢料だ」って。そのとき自分は完全に大人になることを拒否した。仕事は我慢してやることなのか。仕事はつらいことばかりなんだ。そして先生にとって自分は我慢の対象なんだ。だからすぐ怒るし、つまらなさそうなんだ。

 それなら今のうちに思いっきり遊んでおこうと勉強なんてそっちのけで思いっきり遊んだ。遊びといっても特に好きなこともなかったので、ゲームをするかテレビを観るかだった。とにかくこのまま時間が止まって、子どものままでいたいと願った。

 一方で、勉強を一生懸命にやっている同級生たちがいた。私は彼らを哀れに思った。どうせそんなにがんばったって、大人になったら仕事でいっぱい我慢して、がんばんなきゃいけないのに、今からなんでそんなにがんばっているんだろう。とはいえ、中学生は高校へ進学する人がほとんどだから選択肢を増やすために勉強に励むのも当然かと思ったけれど、自分はどうしてもがんばろうと思えなかった。そんなことよりどうしたら子どものままでいられるか真剣に考えていた。

 そんな自分も下から成績を数えたほうが早い高校になんとか入学することができた。もちろん将来に対する希望なんてなかったけど、少なくとも3年間は子どもでいられることが嬉しかった。でもここで出会った担任の英語の先生が私の人生を大きく変えてくれた。

 ある日、彼は私たちに問いかけた。

「みんな!目標はあるか!将来やりたいことあるか」

 何に対しても無気力だった私はその台詞の重みを理解できず、聞き流していた。でもぼんやりながら、将来についていつかは考えなければいけないことはわかっていた。ただ先生のおもしろく、わかりやすい説明のおかげで、授業にはしっかり取り組んでいた。さらにその先生は生徒に対してとても情熱を持っていた。そしてなんだかとても楽しそうに生きていた。

 そこで今まで引っかかっていた「将来やりたいこと」が見つかったのだ。

「この先生みたいに情熱を持って楽しそうな先生になりたい」

 そこから私の人生は見違えるように変わった。手をつけていなかった勉強にも積極的に取り組み、大学にいきたいと思うようになった。しかし貧乏だったため高校卒業後は働き、学費をためなければならず大学に入学できたのは25歳のときだった。かなり一般的なレールから外れてしまったが、私からすれば一般的な生き方ほど怖いものはない。そういう人たちがおそらく「仕事は我慢してやるんだ」って言ってきたのだろうから。

 私は今年、27歳の大学3年生だ。周りでは少しずつインターンシップやビジネスコンテストに参加し就職活動を意識し始めている。私自身も教育業界で働いていけるよう日々精進しているし、あの高校生のころに抱いた希望は今でも忘れていない。どんな仕事についても正解だ。でもこれだけは言っておきたい。「あなたの働く姿は多くの人が見ている」ということを。私はもっと多くの人が好きな仕事をするべきだと思う。それが難しいなら、少しでも笑顔になれる仕事を見つけるべきだ。その姿を見て子どもたちは希望を持つようになる。これは一人の大人としての責任でもあると思う。

 自分が仕事をすることで次世代に希望を届けられるならこんなに幸せなことはない。私はあの情熱に満ちた先生になって、「大人になって働くことはすばらしい」とこれからの世代に伝えたい。できれば当時の中学生の自分にも。

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