【 努力賞 】
【テーマ:働くこと・職探しを通じて学んだこと】
働くこと
東京都  垰 由紀子  30歳

私は、30歳独身、契約社員である。気づいたら社会人も9年目。26歳のとき転職し、今の会社は2社目。ずっと契約社員を続けているつもりはなかったのだが、大手の契約社員は中小企業の正社員よりも収入が良いという事実。しかも転職には労力がかかる。新卒で入った会社に永久就職という考えも薄れ、極めて短期視点ではあるが、いつのまにか今の会社を自分から辞めるという選択肢はなくなっていた。

 ある日、いつものように通勤しながら中吊りやエスカレーター脇の広告に目をやると、今や時の人と言わんばかりにyoutuberたちが大きく写され「好きなことで、生きていく」とコピーの入ったポスターが貼ってあった。正直、初めてそれが目に入ったときイラッとした。しかし、それと同時に、このイラッとする感情は自分の現状に満足していないからだろうか?仕事も楽しい、収入もある、衣食住に困ることもなくある程度満足しているはずなのに、とふと冷静に考え始めてしまった。

そもそも「好きなことで、生きていく」とはどういう意味だろうか。「生きていく」ということが、お金を稼ぐことだとしたら、自分が好きなことでお金がもらえるとは限らない。もしも、私が卵を割ることが好きで好きで仕方なかったとして、それをお金にすることは至難の技である。もしも世の中の人が「好きなことで、生きていく」としたら、どんな世の中だろうか?そんなこと、ありえるのだろうか?いろいろと妄想を膨らませるうち、アッという間に会社に着いた。

 それから数日間、広告掲出がある限り、私は通勤のときそのことを考えるようになった。

 もし、私が卵をたくさん割ることでお金をもらおうとしたら、例えばマヨネーズの工場やケーキの工場だろうか。しかし、手で割る速さは到底機械には勝てないので、速さという観点ではお金はもらえない。では、正確さならどうか。これも、技術が進化すると機械には勝てないので、正確さという観点でもお金はもらえない。では、私は卵を割ることが好きだった場合、「好きなことで、生きていく」ことを諦めるしかないのか。ここで、youtuberの広告を見ながらいくつか淡い期待をいだき始めた。卵を割ることをエンターテインメントにするとお金がもらえるだろうか。例えば、私が不眠不休で48時間卵を割り続けます!と宣言してネット上で生放送するとする。それを面白がって視聴者が増えたら協賛してくれる会社があるかもしれない。例えば、私が卵をリズムに乗せて割るとしたら、それを面白がってアーティストのPVに使ってもらえるかもしれない。これなら、私は「好きなことで、生きて行く」を実現できる。そんなことを考えるうち、もしかしたら、このyoutuberたちも心から好きなことをしているわけではないのかもしれないと思い始めた。視聴者がより面白がってくれること、協賛社が喜んでくれそうなこと、それを自分の好きなことに織り込んでいくうちに「純粋に好きなこと」ではなくなっているのかもしれない、と。

ただし「生きて行く」が、お金を稼ぐことではないとすれば、この言葉のハードルは幾分か下がる。そして、実はそれ以上に、「好きなこと」を見つけるほうが難しいのだ。

 広告を見て勝手に妄想した私だが、10年近く社会を経験して気づいたことと、この妄想には共通点があった。それは、3つの要素が重なる奇跡。まず、好きだと思える仕事を見つけること。そしてその仕事に就くことができること。さらに、その仕事が時代的にお金をもらえる仕事であること。この3つが揃うことは奇跡かもしれない。

 働くことは人によって目的も違えば比重も違う。何が苦しくて何が幸せかも人それぞれだ。それでも大半の人が働くことを選ぶのは、働いた先に得る何かに少なからず期待しているからだと思う。

戻る