【入選】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
『なんてやつらだ!』
  〜やりがいと賃金のバランス〜
福井県  井上義一  67歳

最近、私の周りの若者達から、働き方についての相談が多くなった。長年、英語教師を勤め上げ、もはや若い人たちと少し距離を置こうと考え始めていた。私には若者の熱い思いをぶつけてくるコミュニケーションの取り方に嫌気をもようしてきていて、『もういいよ』が本音でした。しかし、外国人留学生を含め若者達はあのずうずうしさで、立ち向かってきました。私は戸惑い、困惑して、人生の後半を楽しもうとしていたのに『なんてやつらだ!お前達、近寄らないでくれ!』心の中で、叫び声を上げていました。一年が過ぎ、若者達の一人が、自宅近くの病院の産科に通う途中、車で突然立ち寄って、「先生、子供がうまれるの、仕事辞めなければならなくなった、郁恵も看護婦の資格を取ってがんばっているわ、美佐子は保母さんの資格を取ったのだけど給料が安くて、皆それぞれ大変なのよ、また連絡して日にちを決めるから、相談にのってほしいのよ」

“なんてやつらだ”、こちらの都合は聞かない。妻からは「あなたも悪い、優しい顔して了解するから」妻は私の密かな楽しみに気づいたごとく、私の顔を微笑ながら眺めていた。

教え子たちは時に食べ物・飲み物持って、集団で我が家に押しかけてくる。彼らは地元企業での就職難を訴え、資格をとったが給料が安い、女性に対する仕事場での差別、外国籍の女性は正社員としての採用をと労働条件の不平等さを話し合う。教員になったものも「先生、アメリカの教員の働き方は日本とどう違うの」私は答える「この国の教育制度はこれから良くなる。子ども達を正しく教育することの熱意さえあれば、仕事としてはやりがいがあるよ」しかし、本音は先生本来の教育内容、指導法にあまり時間を置かないし、評価も低いこの国。グローバル化の波は教育にも広がり、教員のすべき仕事内容が変わってくるだろう。かつて、アメリカの小学校へ特別講師として行った時、教室には国旗が正面に立てかけてあったし、州立大学は国史が必修科目であった。愛国心を養うことに国民の反対はない。国益を守ることと労働はたぶん何処かで彼らの精神として繋がっていると想像した。働くことは賃金とやりがいのバランスの上で成り立つと思っていて、若者達は賃金を犠牲にして、やりがいを先行させることに我慢なら無いようだ。教員を希望していた学生に言ったことがある「やりがいを持たなければ、先生はやっていられないよ」学生が答えて「それでも先生になりたい。子ども達が好きだから」これは本物、よい先生になるだろう。

若者の働き方には大きな変化が出来てきた。嫌いではない熱い気持ちが沸騰しているのを見る楽しみは、私の職業のお土産みたいなものだと考えるようになった。やりがいが無いから直ぐ離職する若者、何かが変わりつつあると感じるのは私だけだろうか?自己主張が強く、自分の考えをしっかりと伝える若者、だが、我慢とか耐えるとか人の意見を受け入れる能力が下降気味だと考える。小・中・高の期間の人格形成の教育が、まだ不十分なような気がしている。とはいっても、未来を背負って立ち、働く若者を応援したい気持ちには変わりが無い。

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