【入選】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
仕事をする為に生きるより
兵庫県  アマガサキ  29歳

私はこの春、丸7年間務めた会社を退職した。そして同時に、妻と娘が去っていった。

勤めていた会社はいわゆる大企業と呼ばれる規模の組織で、給与は同世代の平均的な額と比べても格段によかったが、とにかく残業と休日出勤が多かった。独身時代は仕事と遊びのメリハリがついていて、仕事が忙しくてもつまらなくても毎日同僚と飲みに繰り出し、愚痴とストレスを吐き出してから、夢や野心を語り明日への活力を補い合ったが、結婚して子供ができてからは生活が一変し、心のバランスが大きく崩れた。

今にして思うと、家庭を大切にするいい夫と父親を演じすぎたのかもしれない。仕事が終わればまっすぐ家に帰り、家事と育児を積極的に手伝い、夜中に無理やり仕事を押し込んで休日を空けて家族と過ごした。妻と娘の笑顔に癒されたことは事実だが、どこかずっと息苦しかったのもまた紛れもない事実だった。気付けば仲の良かった同僚達とは疎遠になり、自分の居ない楽し気なSNSの投稿を見て切なくなった。溜め込んだ仕事のストレスを吐き出す場所を失い、日々が重く、家と職場を往復するだけの単調な毎日に、生きる意味を少しずつ見失っていった。

それでも家族を養うことをやめるわけにもいかず、そんな生活を3年ほど続けていたが、良好だと思っていた妻との関係にも少しずつ歪みが生まれ、会話は減り、体を重ねることも無くなり、かろうじて娘の存在で繋がっている形だけの家族になって、いよいよ本当に何の為に生きているのかがわからなくなった。仕事をする為に生きている、その為だけに動いている機械のような存在だと、ぼんやり思った。

去年末の大晦日、久しぶりに父親とふたりでお酒を飲みに行った時、その時偶然か何かを見透かされていたのか、しばらく飲んだ頃に父親は突然ニヤニヤしながら私の顔を見て「あんなぁ、ええこと教えたろ」と言い、続けてこう言った。「仕事する為に生きるより、生きる為に仕事したほうがな、なんだかんだ言うて幸せやぞ」と。一言それだけ言って、また他愛もない話をはじめた。その場はなんとなく適当に相槌を打った気がするが、寝る前にふと思い出し、その言葉を何度も頭の中で反芻した。そして年始の仕事初めの日、自分でも驚くほどあっさりと、上司に退職することを伝えた。

妻には、その日の夜に事後報告的に伝える形になったのだが、特に驚いた様子もなく静かに頷いたので逆に驚かされた。そしてその次の瞬間には、署名捺印済みの離婚届けを差し出されたので、更に驚かされた。ただ、驚きはしたのだが、正直少しほっとした気持ちもあったようで、私もそれをすんなり受け入れ、名前を書いて判子を押した。

現在私は、これまでのデスクワーク中心の仕事とはまったく異なる、漁業関係の仕事に就いて、毎日全身を動かしながら働いている。父親の言葉に影響されたわけではないと言えば嘘になるが、ずっと昔から釣りや素潜りが好きで、純粋な気持ちだけで仕事を選んでみようと思い、この海と魚に関われる漁業の仕事に就いた。給与は前職の三分の一以下にまで下がってしまったが、贅沢を言わなければ生活には何も不自由はない。働き初めこそ全身の肉体労働に体が悲鳴をあげていたが、3ヶ月も経てば仕事にも慣れて、父親の言葉を実感するようになった。今度会ったら、それとなくありがとうと伝えようと思っている。

30歳を迎える今年、たった7年、それでも丸7年間勤めた会社を辞めた。何が正解かまだハッキリとはわからないが、仕事をする為に生きるよりも、生きる為に仕事をしたほうが心身共に充実しているという現実を、今は直接感じている。約40年間働いて定年を迎えた父親が言った言葉をしばらく胸に留めて、また前向きに働いていこうと思う。

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