【佳作】

【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
美術館で働く
埼玉県  小野雄希  20歳

昔よく、何を見るのかもよく分からぬまま、父に連れられ地元の美術館に行った。そこで何を見て、どんな思いを抱いたのか、もう覚えてはいない。けれども親元を離れ大学生になった今、改めて訪れると、そこに父の後ろ姿を追い駆ける幼い頃の私を見つける。そして必ず、「懐かしい」という思いが起こる。なんだかとても懐かしい──そう感じる時、美術館は私の中でかけがえのない位置を占めていることに気付く。私はどうして学芸員になろうとしているのか、その理由がよく分かった気がした。

社会における美術館の役割とは何だろう。個々人の心の中に、美術館はどのように根付いているのだろうか。絶えずこの問いについて思いを巡らせながら、学芸員の務めを果たすことになるのだろう。

学芸員になれたら私は、何時か自分自身の力で展覧会を企画したい。そしてその展覧会を通じて、密かに私の感性を、社会に向けて訴えられればと思う。無論学芸員は常に、例外無く脇役であり、当然主役は作品である。しかしながら作品が展覧会を企画できないのもまた事実である。作品への敬愛でもって展示を実現する。これが学芸員の重要な仕事だと私は考えている。そしてその展示手法にこそ、学芸員の感性が露になるとも考えている。どの作品を、どのように演出するか。作品はどんな見せ方を僕に求めているのか。展示を実現するためには、このような作品との対話が欠かせないし、作品から受け取った魅力をある程度確かなものにしていなければならない。次にその作品に魅せられる人は来館者(鑑賞者)だからだ。魅了というバトンを確実に鑑賞者へ繋ごうとすると、学芸員はバトンの特徴や持ち方・渡し方にも詳しくなろうとするものだ。

では、どう展示するか。私の大好きな彫刻、舟越保武の『隕石』で考えてみたい。まず私はガラスケース等を使わず露出させて展示したい。隕石が周囲にまで及ぼしている神秘的な空気感を、私がそうしたように共有してほしいからだ。若い女性がやや上を向き、目と口を静かに、しっかりと閉じている。大理石は光を受け取ることで、逆に柔らかく光っているように見える。こうした神秘さや静けさに包まれた時、鑑賞者は女性の息づかいまでをも耳にするかもしれない。この体験は、露出展示という方法によって実現するのだ。だが、ここで作品の題名を確認してみると、『隕石』である。確かに、隕石には神秘的なイメージがある。でも静かなイメージはあまりない。むしろ激しさだ。露出展示の次に光の当て方を考えると、隕石という題名を踏まえて強い光を当てるべきだろうか。でも僕が受けた印象は神秘さと静けさだ。なら柔らかであまり強くない光を当てるべきではないか。強い光と柔らかい光、どちらを選ぶべきか。悩む。ここに学芸員の仕事の面白さがある。そもそも隕石とは、女性の心や頭の中に秘められた思いなのか。それとも、宇宙から大気圏を突破して地球に来たこの女性を隕石と呼んでいるのだろうか。展示手法にしろ、感じ方にしろ、薄々気付いてはいるのだが、正解なんてないのかもしれない。でも、答えを出さなければならない。というのもその答えを基に、展示を組み立ててゆくからだ。その展示にこそ、学芸員である自分の感性が反映される。こうした感性の反映が社会の人々への訴え・問いかけにつながる。勿論、私と異なる感じ方をする人にとって私の展示は、鑑賞の妨げになる。でもそれでも、「ああこう感じることもできるなぁ」と頷いていただけたら嬉しい。勿論アンケート等を通じて叱責されれば、真摯に受け止める。こうして私の感性と鑑賞者の感性を、ぶつけ合うことで、磨いてゆきたい。この磨き上げの先に、本当に新しい作品像が立ち上がってくると信じている。

懐かしさと新しい作品像、美術館には尽きせぬ魅力がある。私は学芸員として、美術館が与えてくれた懐かしさを噛みしめながら、新しい作品像を追求してゆきたい。

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