【佳作】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
死ぬべき理由なんてない
茨城県  吉田圭佑  24歳

就職できなかったことを憂い、自殺。

そんな訃報を耳にする度に「死ぬことなんてないのに」と思う自分がいる。それは他人事だからそう思うのではなく、ほんの一年前まで、私自身がその命を絶つ可能性を孕んだ一人であったからだ。そう言うからにはもちろん、私は就職していないことになる。

そう、ちょうど一年前、大学を卒業した私は就職をしなかった。

しなかった――いや、できなかった、という方が正しいのかもしれない。

それは六年前に発症した心の病、「パニック障害」が原因である。

高校三年の受験期に発症したそれは、未だ完治していない。症状としては突発的な自制の効かない動悸と、またそのような症状に襲われたらどうしよう、という予期不安なのだが、その不安を感じる、時に過呼吸になるほどの動悸を引き起こす要因となるものは、同じ病を持つ人でも様々である。

私の場合「そこにいなければならない」という場所や状況がダメだった。

例えば、教室、あるいは会議の場。自分で自分を制御できない状況も怖いので、乗り物全般が苦手である。日常生活に至っては、スーパーやコンビニなど、会計を待つ列に並ぶことすら不安を感じ、怖気づいてしまうのだ。

これがなかなか、就職するにあたって致命的であった。

なぜなら就職するにはまず、企業の説明会がある。つぎに試験がある。そして何より面接があり、その面接は確実に、二回、三回と幾度に渡る。

つまりそういった、就職に関わる場所はもれなく「そこにいなければならない」場所や状況が用意されているのだ。

これが本当に、何より私を絶望させた。説明会に参加するのがやっとで、本試験にはどうしても臨めない。

大学受験はどうにか死に物狂いで受けられたのに。大学に入ってからも治療を重ね、日常生活を送れる程度には回復したのに。どうしても自分のこれからを決定づける就職試験の場には踏み込めない。

そんなことを繰り返すうちに、ついに私は職に就くことなく卒業を迎えたのだ。

自ら死を選ぼうと思ったのは、ちょうどこのときである。

しかし、結果として私は死ななかった。

それは本当に、いよいよ今後の身の振り方を考えていた2016年の秋。私のもとに一本の連絡が入ったのが始まりだった。

内容は、ライターとしての仕事依頼。大学在学中、ゼミの先生から紹介いただいた、編集プロダクションの方からだった。自宅で最も私が落ち着ける環境で、できる仕事。これ以上とない条件に、私はこの依頼を快諾。するとこの仕事を始めた時期に、もう一つ私に連絡が入ったのである。

それはまた大学時代、私の病状を理解し受け入れてくれた、アルバイト先の店長からだった。大学卒業を機にバイトは辞めていたのだが、私のその後を心配し、ご飯でも行かないかと誘ってくださったのである。その食事の席で、私が卒業後の生活のことを告白すると「それならまたうちで働いたら?」と提案までしてくれたのだ。

こうして私は、同時に二つの仕事を手にすることで、何とか死を免れたのである。

この人生の危機とも言えるような状況で起こった二つの出来事には、今思うときちんと伏線があった。

それはパニック障害になる以前。高校三年まで九年も続けた野球である。

その野球を通し、私が学んだのは「礼儀」。私はこの礼儀を、私という人間を表すものにしようと、いつからか心に決め、生きてきたのだ。こちらから尽くした礼には、必ず人は応えてくれる。そう思い、例え返されることがなくとも尽くし続けてきた礼が、何十年越しに仕事の依頼と言う形で私の命を救ったのである。

だからもし、同じように職に就けないことに悩む人がいるのなら、私は言いたい。

「死ぬことなんてない」のだと。

死なずに、人に対し誠意を持って生きてさえいれば、いつか必ず救われる。

その言葉を体現するべく、私はこれからも、誠心誠意生きていこうと思う。

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