【佳作】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
ありがとう
東京都  こばやしももか  27歳

「働くって一体何なんだろう?」いつからか常に頭の中にある。

自分のため?誰かのため?お金のため?どれもそうではあるけど、でも何かもっと違う理由がそこにあるんじゃないか。

27年間生きてきてそれなりに働いてきた。

高校は通信制に通っていたので、多くの時間をバイトに費やした。

マック、スーパー、日サロ、日雇い派遣、アパレル、コンビニ。

うちは母子家庭で裕福ではなく、高校を卒業してすぐに働くという選択肢もあった。

でも、どうせなら“好きなことを仕事にしたい”と思った私は奨学金で美容専門学校に進学する。

専門は朝から夕方までぎっちり授業が詰まっていた。

常に課題に追われ、ヘトヘトな毎日。それでも学校が終わってからバイトをした。

新宿歌舞伎町にある妖精の峪というダイニングバー。(怪しいお店ではない)

週末は特に忙しくて大変だったけれど、仲間とフォローし合って乗り越えた。

大変だった分、お客様からの感謝の言葉も胸に染みた。

そんな日々を二年間過ごし、国家試験にも合格。学校を卒業をしたけれど、就職はしなかった。二年生になった頃、「美容は好き。でも人にしてあげたい訳じゃないかも…」そんな気持ちが湧き上がってきた。

卒業して達成感はあったし、就職しなかったという後悔はなかったけれど、母には本当に申し訳なかった。

卒業後も妖精の峪でバイトをしながら模索していた。

母は病気もあり、ずっと働けなかったから、私は早く仕事を決めようとした。

しかし母を扶養に入れることや、サポートする事を考えると、職場に求める条件は厳しく、それにプラスしてこの時期は就職氷河期だった。

毎日ハローワークに通い、ネットも駆使して50社くらいは書類を送った。

しかしアルバイトの書類選考さえ通過できないことがほとんどで、条件を緩めようにも、今後のことを考えると妥協できなかった。

そして、なんとかIT関連会社の事務のバイトで働きはじめたが、お局さんがとても厳しく、毎日怯えながらも、やっと決まった仕事だからと、生活のためにと、働いた。今思うと相当無理をしていた。

半年たって業務にも慣れてきたころ、それは突然訪れた。

新卒社員が入社するに伴いバイトは全員辞めてもらうということを告げられた。

それも今日で。

あまりに思いやりのない対応にショックを受けた。

しかしここで働けたおかげで身につけられた力もあり、次の仕事につなげることが出来たので、今は感謝もしている。

その後は経験を活かして大学病院と団体で事務の仕事を続けた。

正直、事務はやりがいを感じることもなく、全然好きじゃなかったけれど、家庭のためにと何とか続けてきた。

しかしある日心も体も空っぽになった。

何をしても楽しくない、頭が無になる、体が重くて動かない。

事務のバイトを始めた時から仕事は仕事と割り切って、仕事は辛いもの、耐えなくてはと思ってきた。

どんなに憂鬱を感じてもそんな日々を続けたのは母と私の生活を成り立たせる手段だったから。

人から見れば挑戦することから逃げた言い訳かもしれない。

でも立ち止まり、本心と向き合った今、心に芽生えたものがある。

空っぽの私の心に残った唯一の好きなこと。

仕事は仕事と割り切っていた私が“好きなことを仕事にしたい”また素直にそう思えている。

高校生のころの私もそう思っていたはずだけど、今は違う思いがある。

自分の好きなことで人のためにと。

ただ生きてるだけでもみんなの仕事ぶりに支えられている。

野菜を買う。

それだけのことにさえ、野菜を作る、運ぶ、売る、どれ程の人が関わっているのか、時々思い出したい。

当たり前すぎて忘れてしまうけど、どんな小さなことも誰かの働きによってそれはあること。

直接お金を稼ぐわけではない主婦(主夫)、それもまた立派な仕事。

彼女(彼)らはパートナーを支えている。それもまた自分ではない誰かのために。

今日も働く人々、みんな本当によく頑張っている。いつもありがとう。

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