【努力賞】
【テーマ:仕事を通じて、こんな夢をかなえたい】
日本の経済困窮学生を救うために
日本大学商学部  山口掌  20歳

大学のゼミナールに入り、今年ゼミ長となった私は、多くのゼミ生の相談を受ける立場となった。そしてそれと共に、私自身の視野や価値観をぐぐぐ、と押し広げるものとなった。

ゼミ生が私に打ち明けてくれる悩みの中に「課題が多い、難しい、うまく出来ない」というものがある。一見甘えのような言葉の羅列に見える。私が同じことを言えば間違いなく甘えだろう。しかし、こうして悩みを打ち明けてくれたゼミ生の中には並々ならぬ問題を抱えて相談にきている人もいる。それはアルバイトをしているから、勉学の時間が取れない、という問題である。正しく言うなら、アルバイトをせざるを得ないのだ。あるゼミ生の場合は、自らの学費を払い、生活費を賄い、明日を生きるためにアルバイトをしている。貧困問題を目の当たりにしていないときは、国立大学や奨学金を給付してもらえばいいのでは?と勝手に考えていた。だがこれは余裕のある人間の価値観の押し付けでしかない。

アルバイトをしないと大学受験できない人に国立の入学試験の勉強をしろと言えるだろうか。大学に入学後、学費を稼ぎ、自身の生活費を稼ぐ学生に、超高倍率の給付型奨学金を狙って勉学しろ、と言えるだろうか。貧困は勉学の自由すらも容易に奪っていくのだと思い知った。私はあるゼミ生に「大学とアルバイトの行き来だよね。何に楽しみを見出してる?」と尋ねた。すると「授業で初めてのこと学んでるときと、あとはバイトのあとにたまに飲むスタバのコーヒー」と答え、そして「コーヒーは飲まなきゃバイトの疲れで朝は眠くて元気も出ないから必要経費としてます」と続けた。こうして悩みを相談されたとき、私はどう答えたらいいのかわからず、言葉に詰まった。そんな私を見て、そのゼミ生は「同情はいらないんです」と教えてくれた。こうした問題を抱えた人達はとっくの昔に知っているのだ、相談して同情されても、目の前にいる人は根本的な解決策を提示できないということを。

ただ単純にお金がないから勉学に励めないのではない、息抜きや楽しみ、希望を貧困は奪っていき勉学を阻んでいるのだとわかった。

こうした現実を知ったとき、私は将来、学生一人ひとりと面談をして奨学金を給与するソーシャルビジネスを作りたいと思った。高い金額の奨学金には出来ないだろう。それでも勉学を行うための余裕を持ってもらう、例えるなら毎週コーヒー1杯を給与して、話を聞きたい。相談に乗り、コーヒーを飲む、そんな楽しみこそ経済困窮学生には必要なのかもしれない。

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