【佳作】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
生まれ変われたら
千葉県 渡 会 次 郎 68歳

「もし生まれ変わることが出来たら、もう一度私と結婚する?」と、妻が妙なことを聞く。瞬時に「無 論!」と答えた私。

熱烈な恋愛ではなく、同棲から『なれ愛』のような形で結婚して40年余り。

「腐れ縁と人は笑うかもしれんが、俺はお間の傍が一番ホッとするんだ」 美人でもない、良妻賢母にも遠い妻が「私も」と微笑んだ。

 

そんな私にとって、職業についても似たようなところがある。

「お前はこの故郷で堅実に教員にでもなったらどうだ?」と勧める両親に、猛反発した高校時代。安 煙草の臭いが染みついた小心者のオヤジを毛嫌いし、「お前の成績では大学は無理ズラ」と蔑むオフクロ に敵愾心を抱いた。

難関大学に進んだ兄と医学部に合格した弟。私はと言えば、浪人して三流の私大の文学部に進学した のだが──。

就活すらせず、バイト先のバーでそのまま働き続けるのも悪くないとのん気に構えていた卒業寸前、 オヤジが事故死した。

「アンタのことを一番心配して、アッチへ逝っちゃったのよ」と泣くオフクロに、私は一念発起した のだった。

 

現役の頃もそうだが、私は教え子達がせっかく招いてくれても成人式はもちろん、クラス会や同窓会 にも出席したことがない。

「どうして? 教え子が可愛くないの?」と不思議がる妻に、顔をそむけて私は思うのだ。

──俺はロクでもない教師だった。あわせる顔がないではないか、と。

バレンタインデーに段ボール2箱分のチョコをもらった20代の頃、転勤するたびに腕に抱えきれない 花束、「先生のようなハートフルな方に担任していただける息子は幸せです」「情熱的な授業、毎日の学級 便り、一生の宝物です」などなど身に余る手紙や色紙、メッセージの数々......それらに「いい先生だっ たのね」と妻は目を細めるが、とんでもない。

いわゆる不良と呼ばれる少女から「先生、ムチャクチャ」と笑われたことを私は忘れたことがない。

カッコつけて自己卑下しているのではなく(反面教師というのなら私は優秀だったろうが)、もう一度生 まれ変わって教職に就き、やり直したいことが山積しているのだ。

 

退職した今も、職業・仕事について教え子から相談を受けることがある。

「退職する5、6年前になって、俺は心底教員をやっていて良かったと思えるようになった。それまで は本気度が足りなかった。俺は教師に向いているのかと、しょっちゅう自問自答してたんだ。こんなア ヤフヤな俺に教えられた君達に申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ」 「そういうところが、普通の先生より俺らには響いたんだよ。いかにも先生らしい先生って、何か変だよ」

外国人労働者の増加、同一賃金同一労働、高度プロフェッショナル制度、働き方改革などなど労働環 境・制度が変わりゆく時代。

職業を通しての自分探し・自己実現に悩んだり、夢を抱く若者に老兵(特に高度経済成長期で職探し にアタフタしないで済んだ世代)が偉そうなことは言えぬが、粘り強く働き続けてみること、人の死が 『棺を蓋いて事定まる』ように退職してみるまでその仕事の良さは分かりづらいということは確信をもって伝えたい。

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