【 奨 励 賞 】

【テーマ:さまざまな働き方をめぐる、わたしの提言】
「型」のない透明人間の働き方
奈良県 塔 田 條 41歳

女性の働き方をめぐる意見はすさまじいほどに雑多で、人それぞれだ。声高に「保育園落ちた日本死 ね!」のような叫び声もあれば、「むしろ保育園落ちて育休伸ばしたいんですけど」などなど、振れ幅大 きく混ざり合い、玉石混交で右往左往している。

私は「失われた10年」という時代を、透明なまま溺れていた。就職活動中、落ちた会社は200社を超え、 ブラック企業という名もない時代に「飯を座って食うな」と怒鳴られ、自転車でパンをかじりながら外 回りの飛び込みの広告営業で体を壊した後、リストラや倒産という経験も20代で味わった。過労やパワ ハラ、リストラ、などなどで自ら命を絶ってしまう若者が陥りやすい、他人からは見えない「穴」。それ は、いつも私の傍で口をあけていた。

自分がいていい場所など、社会にどこにもない、と平日の昼間から酎ハイ片手に鳩を追いかけまわし たこともあった。

息絶え絶えに辿り着いた次の勤務先も厚生年金や健康保険といった福利厚生は当然ながら一切ない。

高熱でも病院にさえ行かず、うずくまって治す・・という、まさに「失うものは何もない10年」だった わけである。

その後、企業の広報職に引き抜かれたものの、ここでもまた「マタハラ」という名もなき時代ゆえ、保 育園が決まらないのはお前の努力が足らんからだ!と上司に怒鳴られ、結局ここでもリストラ・・され ることとなる。どんなに足掻いても元々社会から「いなかった」ように扱われる透明人間。

ただ、私はそのことを自ら「選んだ」ともいえる。一見、どの仕事も不毛かもしれない。ブラックも ブラック、渦中では光も見えず、透明人間は社会からも見えず、リストラは理不尽かもしれない。ただ、 今となれば、それらもすべてその瞬間にしかない、味わうべき社会からの「いただきもの」だったわけ である。

仕事も時代も、流れていく。

働くのは傍を楽にするのが目的だからだ。場やコトに執着すると濁る。それは頑なに働き続けるのも、 頑なに働かない、のも同じこと。結局「怖れ」から、人は自分の自由な意志から遠ざかってしまう。い ろんな意見に惑わされ、自身も揺れ続ける。しかも、女には2つの頭があり、空に近い側と土に近い側、 そして、後者に至っては、完全に資本主義や上の頭では制御できない代物だ。毎月、波がある体を抱え、 男性と同じように働く・・ふりをする。しかも、その波の大きさは人それぞれ。人によっては、上の頭 を引きずり下ろし、理性では抗えない勢いだ。毎月苦痛で動けなくなる女性から、普段通りに動ける人 まで、それすらも人それぞれ・・・にも関わらず「共感」しえない他者の女のカラダ、に対し、理解し ているふりをする。もしくは理解している、と思い込む。男女はおろか、女同士でさえどこか他者と乖 離した感を抱えながら働くことになる。

だからこそ働き「型」など本来なく、無理に自分の体ごと社会や、自分のこうあるべき、と思う「型」 に押し込んで、体や心を壊してしまう女性を幾人も見てきた。家族の形も、カラダの形もここまで「バラ バラ」を自覚した今となっては、自分が「働くためのお膳立て」を社会に期待するのは不毛だとすら思う。

リストラ、倒産、残業せよ、残業するな、社会の厳しさは姿カタチを変える。保育園に落ちて専業主 婦になろうが、非正規で理不尽な目に遭おうが、それは社会に時代に選ばされた・・ようで、やはり私 が「選んだ」のだ。自分の体や本当の心と向き合い、そこから始めるしかない。「今」しかできない仕事 は見渡せば必ずある。結局、私は子どもが小さなうちは、フリーライターとして自ら仕事を探し、自ら 「選び」続け、40歳過ぎた今、また正社員の職に就いて悪あがきしている。

いつでも社会で働く上で自分の思い通りになったことはなかった。あるようでいない、透明でちっぽ けな存在。それでも人は何度でも立ち上がり、働き方を「選び」続けることができると私は信じたい。

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