【 入選 】

【テーマ:仕事をしたり、仕事を探したりして気づいたこと】
「無駄」な仕事
東京都 優 羽 31歳

学生時代の私はそこそこに頭もよくて、それなりの努力を積んだ自負があった。仕事のできる社会人 になる将来図を、微塵も疑わなかった。

そんな私の就職活動は、必要な労力を必要な部分にのみ注ぐ超合理主義で、まるでテレビドラマに出 てくる “デキるサラリーマン” だったと思う。

ある大手出版社のOB訪問に訪れたときのこと。花形の雑誌編集部に在籍している社員が「質問あっ たら何でも答えるよ」と実にフランクに話しかけてくれた。

雑誌の編集者ってカッコいいですねぇ、憧れですぅ、どうしたら入れるんですかぁ?と日常的にお べっかのシャワーを浴びている彼らに媚びても、何の生産性もない。むしろ、リクルートスーツを着た 有象無象に埋没しないよう、逆のベクトルの質問をした。

「雑誌って4割近くが書店から返品されてくるそうですね。ほぼ確実に赤字になりませんか」

小利口で、よく言えば業界研究を怠らなかった私は、OBの脛にあるキズをめがけて、思い切り蹴り 上げた──つもりで反応を待った。

「そう、赤字。原稿料以外にも、グラビアを撮影してくれる写真家、デザイナーや外部校正者、印刷所 に払う金額もバカにならない......そして何より俺たちの人件費ね。高いんだ、これが。だから、いくら 一生懸命作っても、いま雑誌単体で大きな黒字を上げる媒体はほとんど無いんじゃないかなぁ」

それは、こちらがたじろぐほど悠長な口ぶりだった。思い返せば、建前で話さない社会人との遭遇は 珍しく、私の価値観をひっくり返した。

「え、でも、無駄なんじゃ......」

気付けば私もいつの間にか武装解除をして、言葉をオブラートに包むのさえ忘れて問いかけていた。

「無駄と言えば無駄だよね。実はさ、雑誌って場所なんだよ」

雑誌は場所──。秘密を打ち明けるように笑うその男の意図を、私ははかりあぐねていた。困惑する 私に彼は続ける。

「雑誌の1つの記事って、当たり前だけど単行本に比べてうんと短い分量だろ?だから多くの著者と出 会えるんだよ」

それは理解できる。

「それだけじゃない。たった1つの記事を作るために、取材対象者がたくさんいる。著者以外にもいろ んな立場の人たちが、ここにかかわってくれているんだ。だから、目次を開くと編集者は、そこに印刷 されている著者の数以上の人たちのことを、頭に浮かべる」

男は目をキラキラさせて続ける。

「著者はもちろん、いい情報を提供してくれる人たちとかかわる口実になるのが雑誌なんだ。雑誌があ るから、そこから派生して単行本が編めるし、素早くて正確なネット配信もできる。無駄に見えるもの が、別の媒体を作る布石になってるっていうのかな」

その話しぶりは、私にいろいろなことを思い出させた。デパートのコンシェルジュに探している商品 を告げると、別のデパートの売り場を紹介してもらった。近所の電気屋さんは電球の取り換えを頼むと、 他の機器をタダで直してくれる。引越のとき、荷物を運び終えた業者さんが「ほかに何かお手伝いでき ることはありますか?」と聞いてくれた──。

その1コマだけを切り取れば売り上げにもならない無償の労働を、あの頃の私は「無駄」の2文字で 切り捨てた。しかしサービスとは、与えられた守備範囲より少しはみ出た領域でどれだけ自分の仕事が できるか、のことだったのだ。

思えば一線で活躍する編集者が学生である私のために時間を割くことは、途方もない「無駄」だ。得 意げにした質問の中に自己矛盾を発見して、私は恥ずかしくなった。

あれから数年の月日が流れ、彼はOBから私の上司になった。

いくつかの特集記事も担当させてもらえるようになり、少しは力になれているかもしれない。そうい う意味では、私のOB訪問も「無駄」ではなかったことになる。

「だから、別に部下を育てるためにOB訪問を受け入れてるわけじゃねーから」

デスクに座る彼ならきっと、そう言って笑うだろうか。

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