【 佳   作 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
夢を見つけた第2の人生
鹿児島県  いぬい あすか  52歳

私は現在52歳。入社2年目に初めて行った沖縄旅行を機に、人生の最後は南の島で暮らしたいと憧れ続け、職場で喜界島出身の夫と知りあえ44歳で結婚した。26年間働いた会社の東京勤務を希望退職でやめ、49歳のときに喜界島で第2の人生をスタートさせた。

喜界島は隆起性サンゴ礁の島で、青い海と360度の空に囲まれた自然豊かな鹿児島の離島だ。現在、島のスーパーマーケットで経理や、POPづくり、顧客対応といろいろな仕事をさせてもらっている。スーパーという職場柄、島の行事や食べ物、生活で欠かせないものがよくわかるのがありがたい。

前職の会社では、仕事の基本である「報連相」、PDCA、事業計画立案、予算作成、業績管理をしっかり身に付けさせてもらった。東京転勤となり、便利な生活、様々な文化、身じろぎもできない痛勤電車、意外な地味で人情ある街の生活を体験できた。

前職と比較すると現在の年収は4分の1だが、十分幸せな生活を送っている。

現在、終身雇用で65歳でリタイアという社会通念は壊れた。これからは若い時は、都会やしっかり働ける場所で仕事のスキルを身に付け、40歳〜50歳で出身地や憧れの土地で第2の人生をスタートするのが新しい働き方ではないかと思う。仕事の基本はどこででも通用するし、自分の居場所をつくってくれる。どんどん過疎化する地方が、人が動くことで活性化し、日本全体が豊かになるはずだ。

喜界島の人は、「喜界島は何もない、不便な島」と言う。台風が来れば船がとまりスーパーの棚はすっからかん。停電が数日続けば、冷蔵庫の中のモノは壊滅する。様々な新しいものが並ぶショップもデパートもない。映画館も美術館もない。

しかし、手つかずの海岸線、星座の見分けがつかない満点の星空、どこにいても聞こえる小鳥のさえずり、たくさんの魚、見飽きないサンゴ礁、飾らないやさしい人々がこの島にはある。

喜界島の人々は「ウヤフジ」=祖先を大事する。毎食、祭壇に食事をあげ手を合わせ、ウヤフジに感謝する。ウヤンコウという行事は、集落全員で集落全部のお墓参りをする。

喜界島の農産物はすべてウヤフジからの贈り物だ。全国生産1位を誇る白ゴマ、小粒だがしっかり味のあるソラ豆、石灰岩の地質により特別おいしいと評判が高い黒糖。マンゴーは、完熟させてから出荷するから糖度が高く、カラダが元気になる甘さと海馬が癒されるおいしさだ。

東京から喜界島に行くのは時間がかかる。しかし、飛行機の乗り継ぎ時間は、買ったままの本をゆっくり読んだり、ビールと青い海を楽しんだり、時間に追われている日々から、非日常に自分を切り替える時間だ。夜の船で奄美大島から喜界島に渡れば、ちょうど海にのぼってきた月をみながら甲板で風に吹かれることもできる。

私の夢は、このウヤフジの島を、世界の人が一度は訪れたい島にすること。そして、島の人が一生懸命作った大事な商品を高い価格で販売し、島の雇用を増やし若者が島で人生を送れるようにすることだ。

もちろん私ひとりでは実現できる夢ではない。島に移住して4年目となり、役場や生産者の方々の人脈がと少しずつ増えてきた。私の東京での仕事経験を生かし、島の宝をつなげて価値を高めたい。

今、新しい夢を見つけられた自分がとても嬉しい。社会人1年目のときに、小学生をキャンプに引率する仕事をした。子どもたちと別れるときに、思い出ノートを書いた。自分の趣味、好きな食べ物、と進んでいくうち、「しょうらいのゆめ」の欄でハタと手がとまった。希望通りの会社に入社できたことで、私の人生の夢が終わっている。嬉々と話したい夢がない自分に焦燥感を覚え、ずっと人生の夢をさがしてきた。

今、大きな夢がここにある。

島の人は、島外から来た人を「タビの人」という。前職でのすべての仕事とこれからの仕事に感謝し、世界に向けて、喜界島の魅力を伝え続けるタビを生きていきたい。

戻る