【 入   選 】

【テーマ:仕事探しを通じて気づいたこと】
違いを愉しむ
慶應義塾大学  喜代永  響  21歳

およそ2年間に渉りカラオケで働いていた。それについて大学の友人に話をすると、決まって不思議がる表情を浮かべながら、「なんでカラオケなんかで?」という質問が返ってきた。確かに私が勤務していたお店に大学生は殆どいなかった。カラオケと言えば、いわゆる3K(キタナイ・キツイ・キケン)として代表的な仕事であり、大学生はそれとは程遠い塾講師やスター・バックスなどで小遣いを稼いでいるからである。しかし、私がカラオケで働こうと思った動機はそこにあった。


私は、お世辞にも進学校とは言えない都立の高校に通っていた。高校の友人の進路を挙げれば、専門学校やフリーター、高卒で就職など多岐にわたり、必ずしも大学に進学する自分がマジョリティというわけではなかった。そのような環境に身を置いていた自分にとって、現在通っている大学は異常な世界観に包まれている。

大学に入学してすぐに実感したのは、ほぼ全員が高年収で知名度の高い企業に就職することを望んでいることだ。その為に、一年生の時から計画的に学生生活を過ごしている。ある人は留学をしたり、体育会に所属したり、学生インターンに参加したりなど、就職活動での話のタネを作ることに勤しんでいる。私は、その様な学生の顔が皆同じに見えてならなかった。また同時に、その様な同質的な価値観を無意識に強要されることに危機感を抱いた。そのため、彼らとは異なる環境に身を置こうとカラオケで働き始めたのだ。

私の周囲にいる大学生の多くは高卒の人間や偏差値が低い大学に通う人間を平気で見下す。自分の歩んできた厳しい受験競争やこれから歩む安楽な人生行路を正当化するためだろうか、あたかも特権的地位にいるかのように、自分たちのレールから落伍した人間を侮蔑するのだ。

そのような高学歴側の差別意識は反動を生んでいた。カラオケで働き始めた当初、私がミスをすると、先輩から「それでもエリートかよ」と心無い言葉を投げかけられたことがある。お店を一人で回せるようになっても「大卒なら当たり前だ」とほめてもらえなかった。自分の一挙手一投足を全て大卒として語られるのは悔しかった。しかし、それは独善的になる高学歴者に対する、もっともらしい非難であるように思える。

私たち大学生の多くは、安定や高収入という肥えた価値観に縛られ、日々の生活を必死に生きている人々の幸福を全くもって無視している。私たちがのうのうと過ごしている日常が、どれほどの人々の苦悩に支えられているのかについて理解が及んでいない。あろうことか、理解する必要もないと悪びれもなく開きなおっている。カラオケの先輩が私に放った言葉の数々は、自分たちの価値観を絶対視する自閉化した学歴至上主義者への諫言なのかもしれない。


日本には “違いを愉しむ” という良き風俗が存在する。四季を愉むというのはその典型であり、一つの場所において四つの異なる景色を堪能するということである。それは、同じものの中に違いを見出したり、異なるものの中に同じものを見出したりする、そういった営みに長けているということ意味するのであり、日本人の根底にはそういう感性が備わっているのではないだろうか。

ところが、現代の日本はあまりにも同質性を求めすぎている。全員が同じような服装を着て、全員が同じような経験談を話す、そう言った就職活動の在り方にも現れているのではないだろうか。その反動なのか企業側は、皆こぞって女性活躍や外国人雇用など「ダイバーシティ」という海外のスタンダードにあやかろうとしている。しかし、先ず第一に取り組むべきこととは、自分とは異なる考え方や経歴を持っている身近な他者への共感、あるいは自分たちの歩んできたレールを疑うことなのではないだろうか。画一化された高学歴の価値観が見直される時に初めて、“違いを愉しむ” という本当の意味で「ダイバーシティ」が実践される時代が訪れるに違いない。

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