【 奨 励 賞 】

【テーマ:仕事を通じて、かなえたい夢】
「共生社会の実現」に向けて
横浜雙葉高校  中 尾 雪 乃  17歳

私は将来、どのような職に就いているのだろうか。今高校生として関心をもっている分野に精通しているのか、はたまたまだ出会っていない分野を極めているのだろうか。

だがどのような職に就いたとしても、その職を通して社会貢献をするために、ある一つのモットーを大切にして働きたい。それは、「マイノリティの声に日常的に耳を傾ける」ということだ。そのために私は将来、自分の仕事の中でマイノリティの人と対話する時間を多く持ちながら働きたいと思っている。

ここ数年、LGBT への世間の関心が高まり、それに伴いあらゆる団体が「共生社会の実現」を掲げ、イベントの開催などを行っている。実際、私もそのようなイベントに参加したことがある。だがその中には、マイノリティの人を「受け入れる」ことで共生社会が実現すると考える一部の参加者もいた。だが、私は決してそうは思わない。

私は左利きだ。一見、左利きは右利きに比べて割合は少ないものの、そこまで特殊な性質ではないように思われる。だが実際、左利きは世界の一割しか存在しないマイノリティの一種であり、左利きである人々は日常の中で様々な支障をきたしている。その例としては駅の改札が有名であるが、他にも、パソコンのマウスや右側にサイドテーブルがついた椅子などが挙げられる。私も実際、これらの不便さによってストレスを感じた経験は何度もある。

また、私は在日外国人の子どもを対象とした学習室で毎月ボランティアに参加しているが、そこでも「在日外国人」というマイノリティの子どもが抱える特有の困難に直面した。それは、「生活言語」と「学習言語」の違いだ。生活言語というのは、挨拶や日常会話などといったコミュニケーションに使用される言語であり、外国人の子どもたちは日本で生活をしていれば比較的早くに使いこなせるようになる。一方で学習言語とは、議論や考察といった思考・学習に使用される言語であり、使いこなすまでには生活言語より何倍もの時間を必要とするといわれている。そのため在日外国人の子どもの中には、ただ教科書内の日本語で書かれた文章を読み上げることが出来ても、その中の論理的な説明文の意味を理解することが困難な子どももいるのだ。

このように、世の中にはマイノリティの立場になって考えたり、当事者と接する機会がなければ気づかないそれぞれの困難が多く存在する。

世間では、マイノリティを「受け入れる」という意識をもつことが重要視されているのではないか。そしてそこでは、マジョリティ側である自分たちが、その世界にマイノリティが介在することを「許す」というような姿勢があるように感じる。だが「共生社会」の実現に必要なものは、そのような受動的な姿勢ではなく、彼らが抱える特有の困難に気づき、より快適な日常を送るための改善策を共に考え、実施していくことであると考える。

そしてそのために、将来職に就いた私は、自らの仕事の中で多種多様なマイノリティと多くの関係を持ち、直接話をする機会を日常的に設けたいと強く感じる。専門職に就くとしても企業に就職するとしても、マイノリティの声に耳を傾けることで、新しいアイデアやビジネスを構築することが出来るのではないか。そしてそれが本当の意味での「共生社会の実現」という社会貢献につながるだろう。

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