【 厚生労働省 人材開発統括官賞 】

自分らしく生きられる場所
大阪府  白築 シノ 32歳

私が仕事について、ひいては自分の生き方について真剣に考えるようになったのは、人生のレールを踏み外してからだった。社会人2年目の秋、新卒で入った公務員を、1年近くの病気休職の末に辞めた。
 「すみません、すみません、すみません……」
 振り返れば、謝ってばかりだった。通常のデスクワークと臨機応変の窓口対応、正規職員の上司と、非正規の方々との円滑な人間関係の構築、数々の研修での出張など、新しい環境になかなかなじめない。人付き合いが苦手で、学生時代は一人で図書館に籠って本を読むような生活を送っていた。仕事で困ったときに誰かに相談することさえなかなかできない。失敗しては注意されることが繰り返され、「自分は何もできない。もう生きていてもしかたがない」とまで思いつめた。終わらない仕事を深夜まで残って続けていたある晩、糸が切れたようにやる気が霧散して、翌日から出勤できなくなった。就職してからまだ半年だった。精神科を受診して、「うつ状態」という診断を受けて休職に至った。
 学生時代、コミュニケーションが苦手という自覚はあったので、就活では民間企業は最初から諦めていた。勉強にはある程度自信があったので「公務員ならいけるだろう」と仕事の中身について深く吟味せず、内定を取ることだけを目標にした。就職してから先の展望がなかった結果が、これだ。
 退職後に体調は徐々に回復し、これからどうすればいいのかと少しずつ考えるようになった。幸い両親は失職について一度も私を責めることはなかった。父は気分転換に家庭菜園をちょっと手伝ってくれないかと誘い、母は昔と変わらず温かい家庭料理を作って見守ってくれた。高校時代の友達や、大学の同期も相談に乗って、親身に話を聞いてくれた。周りから受け入れられ、ちゃんと居場所があったことが、私の再起につながったと思う。
 退職から一年後、自治体の職業相談を経て知った若者の就業を支援するサポート施設に通い出した。コミュニケーションスキルやビジネスマナーを学ぶ講座を受け、メンタルヘルスについて考えるセミナーなどで、「就活」のリベンジに必要な知識を得ていった。なかなか定職につけていない同世代の人達との交流会も心強かった。同じような悩みを持っていたり、その人ならではの困難さを抱えていたりと、いろんな人の話を聞く中で、克服するすべをお互いに話し合った。「自分でも、きっとまた働ける! 自分なりに、溶け込める職場は必ずあるはずだ」徐々に自信を取り戻し、初めて「人の中で成長している」という実感を持てた。
 どんなことが好きか。どんな形で社会に貢献したいか。どう生きるか。考えていく中で、私は本を読んでコツコツと学ぶことが好きなので、本や文筆あるいは出版などにかかわる仕事をしたいと思った。営業職のように活発に人と関わる仕事は、ストレス耐性の問題から難しいだろう。施設の方とも相談し、決して幅広いコミュニケーションを必要とせず、限定的な職場の人間関係の中で適応するという方針を立てた。置かれた場所で咲くことも一つの生き方だと思うし、自分らしく生きられる場所を自分の手でつかみ取ることも、選択肢の一つだと信じて、二度目の就活にいそしんだ。
 結果的に就活の軸をきっちり確立して臨んだことが、現在の仕事に繋がったと思っている。私はいま、新聞社の子会社が受託している新聞校閲業務を担当している。少数精鋭のコミュニティーの中で、各自に割り当てられた記事原稿を読み込んで誤字脱字を修正したり、ファクトチェックをしたりする。日々勉強になり、正確な情報を世に送り出す使命を持つ仕事だ。多くの人の支えに感謝し、また誰かのために貢献できるという自信をもって、これからも私らしい仕事に取り組んでいきたい。

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