【 公益財団法人 勤労青少年躍進会 理事長賞 】

私の夢見た仕事
愛媛県  こはる 31歳

私には小さい頃から夢があった。ピアノが大好きでとにかく音楽に携わる仕事がしたかった。家族には反対されたが、日々8時間以上ピアノを弾く私の姿を見て応援してくれるようになった。やっとのことで音楽大学に入学することができた矢先、家に一本の電話がかかってきた。


「あなたのお父さんが倒れました。すぐに病院に来てください。」


父はくも膜下出血で突然駅のホームで倒れた。幸いにも一命はとりとめたが、体が思うようには動かず、今まで通りの仕事をすることはできなくなった。今後の事を家族で話し合った結果、父の田舎に帰ることになった。
 その後はがむしゃらに働いた。介護職につき、最初は分からない事だらけだったが、少しずつ利用者さんとの交流を楽しめるようになった。たまに施設のピアノを弾かせてもらい、利用者さんやスタッフに喜んでもらえるのが嬉しくなっていた。
 ある日、仕事終わりに時間があったのでスタッフに許可をもらい施設のピアノを弾いていると、利用者さんに話し掛けられた。
 「こはるちゃんはピアノが上手だね。ピアノを活かす仕事をすればいいのに。」
 「ありがとうございます。私は演奏を聴いてもらえるだけで嬉しいです。それにピアノを弾いて生活するのは難しいですし…。」
 「そうかぁ。幼稚園の先生とかどうだい?私の姪が幼稚園で働いていたけれど、ピアノを毎日弾くのが大変だって言ってたよ。」
 私は利用者さんの言葉に目から鱗が落ちた。その日から幼稚園の先生という職業を意識し始めた。しかし、父親が回復はしつつも仕事は難しいという状況で他の職業を目指すのは無理だと諦めた。
 それから数週間後、祖母とテレビを見ている時に利用者さんとの話を思い出し、世間話のつもりで伝えてみた。すると、
 「挑戦してみなよ。短大にいくなら私が何とかしてあげる。」
 と祖母は答えた。家族にも話すと、幼稚園の先生を目指す事に賛成してくれた。職場のスタッフや利用者さんも応援してくれた。
 そして私は短大受験をし、無事に合格して入学した。二年間みっちり学び卒業し、幼稚園の先生として就職することができた。
 いよいよ夢に見た幼稚園の先生としての生活。子どもたちと毎日音楽に触れ合えることを楽しみにしていた。しかし、現実はピアノを弾いたり子どもたちと歌ったりすることは保育全体のほんの一部だった。本質である幼児教育をいかに日々充実させていくのか、それを毎日考える事で忙しく、音楽への意識は薄れていった。
 それから5年が経った。私は子どもができ、育休を取った。ある日娘と公園に行くと、小学生2・3人が遊んでいた。その中の一人が見かけたことのある顔だった。
 「もしかして…あきちゃん?」
 私は思わず声を掛けてしまった。
 「そうですけど…。誰ですか?」
 「突然話しかけてごめんね。私、こはるです。幼稚園の先生だったんだけれど覚えてない?あきちゃんの担任の先生じゃなかったから思い出せないかな?」
 私がそう言うと、あきちゃんは難しい顔をして必死に記憶をたどっている様子だった。
 「こはる先生…。あぁ!ピアノがうまかったこはる先生ね!どうしてここにいるの?」
 「実は子どもができてね。公園に遊びに来たの。」
 「そうなんだ。先生の赤ちゃん可愛いね。歌、歌ったりする?私、こはる先生と一緒に歌うの好きだったな。」
 「歌うよ。思い出してくれて嬉しいな。ありがとう。」
 その後、あきちゃんはニッコリ笑って友達の所へ戻っていった。私はあきちゃんが一緒に歌った事を覚えてくれていたのがすごく嬉しかった。


私の夢は音楽に携わる仕事をする事だった。それはもう叶わない夢だと思っていた。しかし、私は知らず知らずのうちに夢を叶えていたのだ。その証拠にあきちゃんの記憶には音楽の楽しい思い出が残っていた。私はこの出来事を一生忘れない。この時の嬉しい気持ちを胸に、これからも仕事を頑張っていきたいと思う。

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