厚生労働大臣賞

【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
民間企業研修から学んだこと
岐阜県 後藤喜朗 51歳

「スーパーで1年間の民間研修を命ずる」中学校の英語教師をしている私に突然の辞令が下った。
勤務校の校長からは「最先端のマネジメントを学ぶことができますよ」と送り出されたが、現実はそんなに甘くはなかった。早朝から深夜までの勤務、30Kg以上の玉ねぎ運び等、当たり前の土日、祝日、盆正月のフル勤務。よいことはひとつもなかった。挙句の果てには、ぎっくり腰で病院へ通う始末。以前、織田裕司主演の「県庁の星」という映画があった。県庁職員がスーパーのパートと共に倒産寸前のスーパーの救世主となるというストーリーであった。私が研修をしていたスーパーには、織田裕司の素敵なパートナーの柴崎コウはいなかった。やはり、フィクションと現実はこんなにもかけ離れているのかと落胆したことを記憶している。

同僚からは「八百屋さんがお似合いですよ」と言われたり、子どもたちからは「教員をクビになったの」と心配されたりする始末。出勤途中に大きな橋があり、橋を渡り終えるとそのスーパーの赤い看板が見えてくる。その看板が目に入ると気分が悪くなってきた。おそらく不登校の子どもも同じような気持ちなのだろう。研修どころか、真剣に教員を辞めようと考え始めている自分がいた。

研修もゴールデンウィークを過ぎた頃からようやく慣れてきた。私にも顔見知りのお客さんが何人かできてきた。その中で午後3時に来店され、フルーツを購入される60歳代の婦人がいた。その方は、必ず「こんにちは。今日もまた来たよ」という声をかけてくださった。パイナップルを購入されることが多かったが、今日はイチゴ、明日はスイカと季節のフルーツを購入されていた。私は、その方を密かに「パイナップルおばさん」と名付けていた。

毎日午後3時になると売り場で「パイナップルおばさん」を待つことが私の日課になっていった。ある日「もうすぐイチゴの季節だね」と話された。なぜかその姿が寂しそうであった。

研修もついに最終日を迎えた。私は、売り場で「パイナップルおばさん」を待っていた。午後3時ジャスト「パイナップルおばさん」は来店された。私を見付けると笑顔で近寄られ「こんにちは。今日はどのフルーツがいいですか」と尋ねられた。私は「実は私は教員で1年間限定でこのスーパーで研修をしていました。今日が研修最終日です。これまでありがとうございました」と頭を下げた。「パイナップルおばさん」は「ええ、おたく先生なの」と目を丸くされた。「実は、私もおたくと同じくらいの息子がいて丁度1年前に交通事故で亡くなりました。息子はおたくとそっくりでね。パイナップルが大好きで毎日仏壇にお供えをしていたよ。明日から寂しくなるね」と悲しそうな目で話された。次の瞬間、私の目から大粒の涙が溢れた。売り場にもかかわらず号泣した。「パイナップルおばさん」は私と自分の息子をオーバーラップさせていたのだ。知らず知らずのうちに私が「パイナップルおばさん」の役に立っていたのだ。スーパーでの研修で腐っていた自分を恥ずかしいとさえ感じた。

バックヤードに戻るとパートさんたちが待っていた。「先生1年間お疲れさん!」と花束をいただいた。ここでも号泣してしまった。

駐車場に向かう途中スーパーの看板が見えてきた。気が付くと私は、私を苦しめたスーパーの看板に深々と頭を下げていた。駐車場に向かう畑には、イチゴが実り始めていた。

1年間の研修ではあったが、「パイナップルおばさん」をはじめ、社員やパートの方々に支えられて無事に終えることができた。やはり「仕事は人なり」である。この研修で邂逅した人々は私の人生にとって貴重な財産となった。

今回のスーパーでの研修を通して「働くことの意義や喜び」を改めて実感することができた。本研修から学んだことを学校経営や児童生徒、保護者、地域社会に還元していくことが自分に与えられたミッションであると思う。

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