【 入 選 】
「私ゃ、夕飯、もろとらんが」
「○○さん、もうお夕飯は食べられましたよ」
「食べたんかな」
首を傾げながらも老人は居室へと戻って行く、が戻ったと思う間もなく、またすぐに引き戻ってくると、今度は、
「もう朝ごはんでな」
「朝ごはんはまだです。今は夜中の2時です」
「まだ夜中かへ?」
驚いたような顔をしながら、また居室へと戻っていく。
夜中、何度となく繰り返されるこんな問答。
昼間はどこにでもいる好々爺といった感じで普通に会話もなりたつのに、不思議に夜になると認知症による夜間せん妄という状態に陥り、同じことを繰り返し聞いてくる。
ときに昼夜の区別もつかなくなり、予想もつかない突飛な行動に出たりもする。
夜間帯は職員の数も限られる。事故のないように最善の注意を払いながら真夜中、介護施設の廊下を汗だくで走り回っている。それでも認知症からくる妄想で、セクハラまがいの行為をされたり暴言を吐かれたりすることもある。正直、もうやってられない辞めてやる! と思いかけていた。そんなときだった。
深夜、高齢のAさんのおむつを替え、おやすみを言って立ち去ろうとしたとき、Aさんのか細い手がふいに私の手首を握ってきた。
「あぁとう」
回らぬ舌で私に「ありがとう」と言ってきたのである。申し訳なさそうな表情をしながら真っ直ぐに私を見つめてくるAさんの瞳と目があった。当然なことをしただけなのに…。
Aさんのありがとうが妙に心に沁みた。
またある時は三時のおやつで介助する私に、
「あんたも食べんかへ?」
「私はいいのよ」
「えぇけ食べなさいの、上の人には黙っとってやるけ」
テーブルの下から手を伸ばし、おやつの饅頭を渡そうとするのである。戸惑いながらも「ありがとう」と言って受け取ると、その老人は何度も頷きながら微笑んでいた。
そんな笑顔を目にすると、心が和む。
そもそも介護の仕事をするようになったのは、20年ほど前、今は亡き姑と同居することになったのがきっかけだった。
当時、姑は74歳で、腰が悪く、何よりパーキンソン病を患っていることもあって、舅亡き後、一人で暮らすことが困難になった。
そこで主人の実家である福岡に住む姑を愛媛に呼び寄せると、同居生活が始まった。
老人と暮らすということは食生活から暮らしのサイクルまですべてが違う。何より一番戸惑ったのは、姑は日常生活のすべてに介助が必要だったのだ。そこで介護の勉強をし、さらに実践もかねて仕事も介護を選んだ。
だがいざ介護現場に飛び込んでみると、きつい汚い厳しい、まさに3Kの典型のような仕事で、何度も辞めようと音を上げそうになった。けれども、そのたびに老人の笑顔に、そして何より介護しているこちら側を気遣ってくれる何気ない一言に心が救われた。
たとえ認知が入っていても、心ある人間同士なんだから、気持ちは通じるのである。
いずれ私も老人となり、同じ道を歩いていく。介護する側がいつか介護される側になるのである。老人達を介護する中で介護は心のふれあいを届けあう仕事だなとつくづく思う。
そして何より人生をまっとうし、生きることの尊さ、大切さを教えてくれる、本当に素晴らしい仕事だと実感した。
そんな思いを胸に今日も「おはようございます」と挨拶する私に老人の一人が言った。
「べっぴんさんが来なさった」
こんなオバサンに、主人でさえも言ってくれない一言に、元気も勇気も湧いてくるってもんだ。うれしいったらありゃしない。
やっぱりこの仕事、当分辞められそうにないな。