【 入 選 】
「4月から小学校の先生になります。憧れの教職に就くことができ胸がいっぱいです。これも工藤さんのおかげです。本当にありがとうございました・・・」平成27年3月、こんなメールが届いた。差出人のTさんの名前を見て記憶がよみがえった。
5年程前のこと。私は航空関係のシステムエンジニアとして定年まで働いた後、次の再出発を考えていた。「人生意気に感ず」これは私の好きな言葉であるが、会社生活から解放されたのを機に、好きなことに挑戦しようと思った。脳裏をよぎったのが、どう地域社会に関わりを持つか。論文を書くのが好きだった。これを活かせないか。そんな折、近くのS高校で進路指導員の公募を目にした。臨時職で教師資格も不要だったのでまさにぴったりと言えた。早速、指定の応募書類に加えてパワーポイントで作った自己PRを添えて応募した。面接当日、どう進路指導に取り組むか熱い思いを語った。その帰り道、幸運を知らせる携帯が鳴った。
1週間後、私はキャリアガイダンス室に陣取っていた。訪れた生徒達と雑談を繰り返しながら大学入試の相談を受けるのが主な仕事だ。最優先したのがAOと公募入試である。今でこそAO入試もセンター試験との併用が増えたが、その頃は課題論文のプレゼンや面接で合否が決まった。一般入試より早く結果が出るので生徒には羨望の的だった。だが、それを突破するのは至難の業で、その場でテーマが出される小論文を、限られた時間内にいかに論理的かつ自分の考えを取り入れた文章に仕上げるか。それが大問題だった。
Tさんのことは今でも鮮明に印象に残っている。初めて会った時から、「小学校の先生になりたい。でも国立の教育学部に一般入試で受かる自信がないよ」と訴えてきた。その愛くるしい瞳が輝いていた。そこで私が提案したのがAO入試である。幸いTさんは書道が得意だった。全国大会で入賞経験があり、これをアピールできると思った。Tさんも覚悟を決めてくれ、そこから二人三脚の猛特訓に入った。夏休みの大半をAO対策に当てた。小論文の課題を10回以上出したと思う。最初は3時間かかっても中途半端のままだったが、夏休みが終わる頃には、何とか1時間で及第点レベルまで書けるようになった。先生になったらどう児童と向き合うか、書道から学んだ素直な心の大切さのエピソードも交え、プレゼン資料もまとめることができた。面接リハーサルも徹底した。Tさんが見事にAO入試を突破することができたことは申すまでもない。
卒業式当日、式典終了と同時に、Tさんのお母様がいきなり職員列の末席にいた私のもとに駆け寄り、「ありがとうございました・・・」と抱きついてきたではないか。他の先生方はもちろんのこと、私自身も一瞬、何が起こったのかわからずあっけにとられた。それほど感謝の気持ちにあふれていたのだと思う。
この進路指導の仕事から、私自身も感謝したいことでいっぱいだ。これまでの会社経験ではなかなか味わうことがなかった刺激に触れることができた。何よりも、若者達の目的に向かって取り組むことの躍動感、思いもつかない発想や新鮮な考え方を吸収でき、脳をリフレッシュできたことだ。高齢者社会に突入し、自身もその荒波に引き込まれつつある中で、こうしたかけがいのない経験ができたことは感謝に堪えない。まさにダブル感謝での再出発となった。
現在、私は高齢ながら都立城南職業能力開発センターで訓練生の就職支援に就いている。進路指導も就職支援も本質は同じだ。進路指導で培った、心と心の結びつきを忘れずに、今日も元気に感謝の気持ちを忘れずに訓練生との就職相談に知恵と汗を流している。