【 入 選 】
私がこの職業を選んだのは、もうだいぶ前のことだが、訓練校の機械製図科を終了したからだ。
38歳になって、子供に手がかからないと思った時、ただやみくもに働きたいと思った。それまでも家にこもって仕立物の内職をしていた。安い賃金だったが、それなりの成果はあった。けれど外に出て働きたいと言う、希望は募るばかりだ。
近所の奥さんも近くのスーパーに行っている。あの人もこの人も外で働いている人が多い。
だが、私は皆とは少し身体が違っていた。耳が聞こえないのだ。耳さえのければ、後は皆と同じ。何でも出来る。主婦の仕事なら……。と思ったけれど、主婦の仕事以外は何にも出来ない。良く考えたら、何にも出来ないのと同じ、と言うことになる。
主人は私の職業を、慎重に考えてくれた。私が急かすのを、「まあ、待て」と言ってじっくり構えてくれた。
そして「これはどうだ」とある朝、朝刊を指さし、私の顔を見てニンマリした。そこには、職業訓練校生の募集が載っていた。私が興味をひかれたのは、機械製図科だった。どんなものかな?と興味をひかれた。まだ一度も見たことも書いたこともない。
主人が言うように、まず腕に技術を身につける。それから働きに行くのだ。私は訓練校に入校した。1年間の勉強はとても楽しかった。私の教室は、すべて男性ばかりだった。紅一点が私なのだ。皆若い人たちばかりだったが、私には親切にしてくれた。
私は1年間勉強をして、トレースの仕事に就いた。トレースはガラス棒で描いていく作業だった。私は耳が聞こえない分、一生懸命に働いた。同僚もいたけれど、何も考えずにただひたすら働いた。
職場は、女性ばかりの楽しい場所だった。上司がいない時、皆無駄話をした。笑いさざめき、机の上で会話が飛んだ。私は何を言っているのか分からなかったので、皆の中には入らず、ただ仕事をしていった。当然同僚より、仕事がたくさん出来る。図面もきれいだ。そのうえ文字が書ける。
いつの間にか、私には難しい図面が来るようになった。私はただそれを、書いて行っただけだ。
いつの頃からか同僚からの、鋭い視線が注ぐようになった。消しゴムがないと言ったら、遠くから背中に投げてよこす。わざと私にもたれかかり、線を汚す。数字を打つ機械を、中々貸して貰えない。私はどうしてよいやら分からなかった。
主人に話すと、笑いながら「お前がそうしたのだ」と言われた。
私は聞こえないから、話しの中に入ってないだけだ。それだけなのに……。
私は、皆が話すときは、少し仕事を止めて、持ってきた本などを読むようにした。本も中々楽しい。
こうすると、同僚とほとんど同じ仕事の量になった。そして同僚には出来るだけ親切にした。出来そうにない仕事を請け負ったときは、そっと手伝った。何時しか同僚とも、楽しく語らうことが出来るようになった。そして思うことは、同じ難聴の主人のことだ。こんなに様々な人に囲まれ、皆と上手にかかわっている。私もまだまだだな、という感じだった。