【 佳 作 】
「男なら大きなことを成しなさい」
大正生まれの祖父がよく言っていたけれど、まだ小学生の僕には意味がよくわからなかった。ただ伝記を読んでいるうちに、大きなこととは、偉大な発明や、偉業であると思うようになった。
「大きなことをする、えらい人になる」
僕がそう言うと、祖父は目を細めた。それが僕の夢になった。
しかし学年が上がるにつれて、いつしか「大きなこと」は頭から飛んでしまっていた。大学を出て学校の先生になったが、ますます毎日を過ごすのが精一杯になった。
実家にある祖父の遺影を見るたびに、やっかいな宿題を残されたと思っていた。
ある年、担任していたクラスの中に、野球に大変自信をもっている子どもがいた。彼はよく
「俺は、野球で飯を食っていくから学校なんてどうでもいい」
と言っていた。担任として、特に後半部は黙認できない。
「学校のことも頑張らないといけないよ」
と諭すけれど、彼は決まって
「野球もやったことのない先生は、黙っておいてよ」
と返してくる。とにかく野球が全ての価値観という子だった。授業中もスコアブックを見ては、野球の研究をしていた。
市の選抜チームに入っている彼の言動に、他の子も引っ張られた。卒業前など、かける言葉一つにも気を使う状態だった。
「友達の気持ちを考えて…」「下級生たちに憧れられるように…」
考えの幅を広げてほしいと思って手を尽くしたけれど、どれも空しく終わり、彼は揚々と卒業していった。
それから5年経った年の夏、彼が進学した高校が甲子園に出場し、勝ち進んでいった。知り合いから誘われ、少し複雑な気持だったけれど、応援に行くことにした。
真夏のグラウンドに、面影のある彼がいた。だが彼はレギュラーではなく、三塁コーチャーをしていた。スタンドにまで聞こえるような大きな声で仲間を励まし、ランナーが出ると、腕を思いきり回して進塁を指示している。
その姿に、僕は胸が熱くなり、わだかまりがいつしか消えていた。
接戦のまま試合が終盤に進むと、彼は代打で登場し、ヒットを打った。ベース上で白い歯を見せた彼に、スタンドから割れんばかりの拍手が送られた。3年間の地道な努力が報われた瞬間だったのだろう。
残念なことに、試合には負けてしまった。彼はこれで引退にも関わらず、肩を落とす後輩たちを励ましていた。
悔しい思いもたくさんしたことだろう。仲間や尊敬できる監督との出会いもあったのだろう。それらが彼を変えたのは、明らかだった。
熱気冷めやらぬ球場から出たところで、声をかけられた。
「先生」
誰かから聞いたのだろう。試合を終えたばかりの彼が、ユニフォーム姿のまま、走ってきてくれた。
「来ていただいて、ありがとうございました」
目の前の彼とその言葉に、僕は感激して
「本当によく頑張ったね」
と声をかけた。すると彼は、
「先生にはずいぶん迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
申し訳なさそうに頭を下げた。今さっきまでグラウンドの中で輝いていた彼が、こうして頭を下げている。
「いや…ほら、もう顔を上げて……」
僕はそれ以上言えなかった。彼はしばらくして日焼けした顔を上げると、ほほ笑んでチームメイトのところへ戻っていった。僕の胸の中に、さわやかなものが駆け抜けていった。
帰りの飛行機でも、感動は冷めそうになかった。再会の喜びと、この仕事への感謝が波のように交互に寄せてきた。
考えてみたら、人を育てるというのは、未来への挑戦とも言える。子どもたちが、将来どんな未来を切り拓いていくか。僕らはその助走を手伝っているようなものだ。
難しいこともある。
伝わらないこともある。
だけど、これなら胸を張って報告できる。
「大きなことやっているよ、じいちゃん」
やがて窓の下に、ふるさとの灯が見えてきた。未来のために、子どもたちのために、この街で頑張ろうという気持ちが、ふつふつと湧き上がってきた。
現在大学3年生になった彼は、教職を志しているという。