【 佳 作 】
今から20年近く昔、北海道の某教育大学を卒業した時の私は、完全に就職競争から出遅れていた。というか、「卒業した時」といっている時点でもう遅いのだ、就職競争は学生のうちからスタートしていたというのに。
とにかく、プータローに片足が入ってしまっていた。身の振り方に悩んでいた時、一本の電話を受けた。北海道のいわゆる「僻地」で非常勤の教師が足りない、1年来てくれないかというお話だった。私に選択の余地などあるはずがない。すぐに飛びついた。
先方から良い話が飛び込んできたのは後にも先にもこの時ばかりだ。この選択がその後の私の未来を開いてくれることになった。
公務員に準じる立場だったその1年間は、私に、純朴な子供たちと尊敬できる先生方との思い出、仕事の経験、そして、次のステップの元手になる軍資金を与えてくれた。
私の社会人デビューは行き当たりばったりで始まり、立て直しに時間が掛かった。ただ、今振り返って思うのは、満たされず未来に不安を抱えてもがいた時期も、思いがけないタイミングで次のステップへとなんとなく繋がっていき、無駄な経験など結局なかったなということである。「思いがけない」とか「なんとなく」とか相変わらず私らしい悠長さだが。
その後の私であるが、非常勤時代に貯めたお金で東京の片隅に住む兄を頼って上京、正社員など程遠く、バイトをして生きつないだ。体を動かす単純労働から、徐々に校正や編集補助の仕事を選ぶようにしていった。
30歳を目前に控えた頃、職種はともかく正社員になりたくて、鮮魚店の事務員になった。ずっと続けたい仕事とは思えなかったが、大はレジ打ちから小は段ボール箱の楽なつぶし方まで、色々なことを学んだ。魚の種類にも詳しくなり、食に興味を持ち始めた。
そこを辞めて、採用テストで作文があるところを受け、編集として社員になった。ここでは取材に行かされて毎回苦痛だったのだが、その経験が次の職場の採用の決め手になっている。お給料を貰って苦手なことをやらせてもらえた、練習させてもらえたのだから、今にして思えばありがたいことだと思う。
次の職場では主業務以外のお茶汲みや電話の取り次ぎなどの作法に厳しいところで、自分の欠点をだいぶ矯正していただいた。多くは語らないが、結構我慢強くもなれたと思う。一回教えたことが次にできないなんてことは許されず、何かを教えてもらう時には必至でメモを取った。緊張感のある職場だった。
今現在は、これまでの経験を生かして編集・ライターとして働いている。お客さんへのお茶出しも普通にできるし、取材もいまだに苦手ながら、必要ならいつでもできる。
余談だが、今の会社に入る直前の2か月くらい、中学の学力テストの採点バイトをしていた。この時は、教育大で取得した教員資格が役に立った。ここは大学生が多くて社員もいい人ばかりで、活気があって楽しかった。
また、それと時期がかぶって3日ほど、某カードの勧誘のバイトをしたのだが、朝から夕方まで「笑って!」といわれ続け、3日目の終わりには自然な営業スマイルがつくれるようになっていた。何事も経験である。ここも、終わる頃にはバイトさん同士に連帯感のようなものが生まれていて、楽しかった。
これまでの経験が、今の仕事に無意識のうちにも色々と役に立っていると思う。
仕事は、生活費を与えてくれるだけではなく、その仕事を通して得られる経験を、自分の中に積み重ねてくれる。職業はその人を理解する手がかりとして有効だ。普段その人がどういうことをしている人か、どの方向に向かっているのかを知る手がかりになる。
あなたが選ぶ仕事が、あなたの未来をつくる。今を楽してやり過ごそうとするなら、何も身に付かない。自分の進みたい方向へ、未来を楽しくできるように、模索して行こう。