【 佳 作 】
私は職場の足場係りだ。毎年入ってくる新入社員や学生バイトたちを、指導する。口うるさくて厳しい私は、彼らから見ればまさにお局さまだろう。
でも厳しくするのには、理由がある。20数年前、私は挨拶すらまともにできないような新入社員だった。それまで働いたことがなく、勉強ばかりしていた。成績が良かったから、親からも先生からも、褒められこそすれ、怒られることなどなかった。
私は優秀。そう思っていたから、仕事に対する考え方が、ひどく甘かった。年号でも数学の公式でも、勉強のことなら何でもすぐに覚えられてきたのに、仕事はさっぱり覚えられなかった。メモを取らず、見直しもしないから、人一倍ミスをした。働くとはどういうことかを、私は分かっていなかった。
私は毎日のように、先輩たちから注意された。日に何度も怒られた。ため息をつかれた。先輩たちの目が怖かったし、怖いから、先輩たちが嫌いだった。それは鏡のように跳ね返り、私は先輩たちから疎まれた。こんな私と交わる同期は居らず、彼らは私を置いてどんどん仕事を覚えていった。
落ちこぼれた私は、半年後に退職した。優秀だったはずの私にとって、初めての挫折だった。流した涙は、とてつもなく苦かった。時間が過ぎて、あの時の自分に何が足りなかったのか、今ならよく分かる。
だから新人研修に付くときは、あの頃の自分に教えるように接している。あの当時、私を厳しく叱った先輩たちの気持ちが、今はよく分かる。あの頃の私と同じように、入ってくる新人たちはみな、若くキラキラしていて、考えが甘い。
私の厳しさを嫌っているだろうが、それでも付いてきてくれる子たちは、助走力をつけてゆく。そして私の両手を足場にして、高く飛躍するのだ。私は彼らの足を精一杯持ち上げて、より高く飛べるように手伝う。
飛んでいった子たちの中には、認められて本社勤務になった子もいれば、学生バイトは無事に就活を終え、社会人になっていった。挨拶すらまともにできなかった彼らが、大空高く飛んでゆく。
それは、彼らの持つ翼が大きかったからだ。飛ぶ力が強かったからだ。あの時飛べなかった私と違って、みんな大きく高く飛び立ってゆく。
見違えるようになった彼らが誇らしいと同時に、寂しくもある。飛んでゆく彼らを見送る私の背中に、もう翼はない。時間が、私の役目を変えていた。いつの間にか、自らを飛ばす術を失くした私は、誰かを飛ばすための足場係りとして、ここに居るのだ。
ふと、飛んでいった彼らに、問うてみたい。私の足場の力は、役に立ちましたか?と。