【 佳 作 】
私が銀行に勤めていた、20代の時のことです。
私は3歳年下の後輩と、パートさん4人の6人で仕事をしていました。パートさんはほとんどが50代くらいの主婦の方で、忙しくて始終バタバタしている私たちのために、率先して電話を取ってくれたり、少しでも仕事を覚えて負担を減らそうとしてくれたり、お客様からの調べ物を進んで引き受けてくれたりと、それはそれは助けていただきました。
が、実はそれは3人のパートさんについての話で、Kさんというパートさんは、皆さんとは少々違っていました。
彼女は事務が苦手らしく、一つの仕事を頼むとそれにかかりきりになり、周りでいくら電話が鳴っていても、気づく余裕すらありません。みんな手が塞がっている時、たまらず
「Kさん電話出てください!」
と叫ぶと、彼女はハッとしたように顔をあげ、おどおどしながら受話器に手を伸ばす、という有様でした。
彼女は電話自体も苦手で、なかなか取ろうとしません。たまに出ても私に助けを求めてくるのが常なので、
(これじゃ私が電話取ったのと変わらないじゃない)
とうんざりし、露骨に不機嫌な態度をとったこともありました。そんなことを繰り返すうちに、いつしか私は彼女のことを「使えない人」「仕事が出来ない人」という目で見るようになっていました。
ところが、ある日。午後3時を廻り、シャッターが降りた後に、一人の外国人の男性がインターホンを押して入ってきました。
彼は閉店後の店内に戸惑っている様子で、不安げに辺りを見回しました。と、突然Kさんが立ち上がり、走って行ったのです。
彼女は二、三言葉を交わした後、彼を窓口へと案内し、何事もなかったかのように席に着くと仕事の続きを始めました。そして彼が用を終え、ロビーを横切ってゆくのを目にすると、走って行き、笑顔で見送ったのです。
Kさんが自ら動く姿などあまり見たことがなかったので、それだけでも驚きでした。これまでの彼女は、何度やっても数字が固まらないらしく、いつまでも加算機を叩き続けていたり、伝票の書き方がわからなくて一人で悩んでいたり、あるいは、その間に溜まってしまった入金伝票を、青い顔をして機械に打ち込んでいたり。そんな、自分の席で苦しげに仕事をこなしていた彼女が、席を蹴って走って行き、お客様と英語で会話をし、笑顔で見送っている。それは私が今まで見たことのない、別人のような彼女の姿でした。
後で聞いた話によると、彼女はボランティア活動をしていて、アジアの貧しい子供たちを1年に何度か尋ねているというのです。
私はその時、はっきりとわかりました。
(人は、一面だけで判断してはいけない。)
彼女は事務は確かに苦手だけれど、人と話すときはあんなに生き生きと、楽しそうにしているではないか。
3時直後の一番忙しい時間。けれども困っている人を目にした途端、自分の仕事を放り出し、その人の所へ一直線に走って行ったKさん。困っている人を助けたい、その人のために何かをしたい。彼女は本当に人が好きで、そうせずにはいられない優しさがあり、自然と体が動いてしまうのでしょう。電話や機械の前では見ることのなかったKさんの笑顔を、その時、私は初めて見たのです。
適材適所の配置ということを考えなかったばっかりに、彼女は苦手な事務を強いられ、私はその姿だけを見て彼女を蔑んでいました。本当に恥ずかしい。私はなんて視野の狭い人間だったのでしょう。
一面だけを見て、人を判断するな。自分が見ているのはその人のほんの一部分にしか過ぎないのだから。この事は、あの恥ずべき自分の姿とともに、私の心に刻まれています。