【 佳 作 】
理解ある雇用促進を願う
例年12月の中旬、数組の高校生とその保護者が、私の執務する教育相談室を訪れる。訪れる生徒たちは、皆「発達障害」と呼ばれる障がいがある。彼らは、約1年後の学校卒業後に就職をしたいと希望する高校2年生である。
特別支援教育コーディネーターとして、障がいのある生徒の学校生活全般の支援に携わる私は、毎年冬休みを翌週に迎えたこの時期に、該当生徒とその保護者に対して、就労についての相談会を実施する。そこでは、まず本人の就労の意思と自身の障がいの理解についての確認をする。発達障害と言っても、読み書きの苦手な「学習障害」タイプや他者とのコミュニケーションが苦手な「自閉症スペクトラム障害」タイプ等と様々な特徴を有する。生徒一人一人の障がい特性や学校生活の様子を思い出しながら、来室した当事者たちの話に耳を傾け続ける。
話を進めていく中で、幾度となく気付かされることがある。高校に在籍する発達障害の当事者たちにおいては、障がい理解や障がい受容の程度に、個々に大きな相違があるということである。保護者に理解や受容が備わっていても、本人が障がいを認めたくないケース、両者ともに障がいの理解や受容が進んでいないケース等様々である。反対に、学校生活には適応できていても、新しい場所や人に慣れるまでに何らかの支援が必要であると考える生徒の中には、進んで障害者手帳の取得を希望し、企業の障害者採用枠での就労実現を目指すことを提案するケースもある。
ところで、当事者が障がいを理解しない、しようとしない要因には繊細かつ複雑な面が存在するが、就労に関して言うならば、一般就労と比較した場合、雇用条件の違いもその一つとなろう。同じ職場に一般就労で入社した新卒の高校生が正社員採用であるのに、障がいがあることでパート採用となったり、一月の労働時間に上限が決められていたりする。それらのことは、当然のごとく収入に影響するので、発達障害のある18歳は、新卒の同期の年収の約半分以下であることが少なくない。もちろん、雇用形態や労働時間に制限を設けることは、本人自身の状況や障害特性を踏まえてのことでもあろうが、一面においては、会社の都合によるものであることも否定できない。特に大手企業などは障害者雇用率達成の社会的命題があるので、障害者の雇用を推し進めていることは事実であるが、実際には発達障害のある高校生を正社員として採用した際の職場の負担度や業務上のリスク等に推し量れない部分があるが故に、最初から就労条件に制約を付けざるを得ない状況がある。
このことは、企業の人事担当者と話をした際に、聞かれる一言に如実に表れている。
「発達障害と知的障害はどう違うのか?」理解が進んでいないのである。知的な能力に遅れはないが、特定の領域で困難さをもつのが発達障害の共通する特徴である。得意な分野については、むしろ他者よりも有能な一面をもつことの方が多い。
学校教育に、発達障害のある児童生徒への支援を含んだ特別支援教育という新しい教育概念が登場して約10年である。しかしながら、社会の主たる構成メンバーである企業においては、「発達障害」児者への理解は、まだ始まったばかりのような状況である。家庭や学校で必要な支援を受け、一人一人の良さを伸ばす教育を受けてきたとしても、―発達障害である自分は正しく評価されない―そのような考えが、当事者の障がい理解ひいては自己理解を阻害している要因になってはいないか。
障がいがあるからではなく、仕事の優劣で評価することを、多くの企業には声高々に謳っていただきたい。目前の発達障害のある高校生が、自身の障がいをオープンにして就労活動に望める環境がいち早くできることを、少なからず願わざるを得ない心境が今の私にはあるのである。