【 佳 作 】
この施設に再就職して2年が経つ。私の勤務する施設は障害者支援施設だ。私はそこの支援員として働いている。精神科看護師として20年以上働いたが、うつ病を発症し退職。その後、私は精神障害者として劣等感に苛まれながら生活していた。そんな私にチャンスを与えてくれたのは支援施設の事務局長だったが、障害者が障害者を支援するということで、風当たりはきつかった。
「ボランティアじゃないんだから大変よ」
「あなたに精神保健のことがわかるの?」
次々と浴びせられる言葉に私は翻弄される。孤独だった。
「そんなことじゃ、あなたは支援員として失格ね」
職員会議で泣いたこともある。それまで看護師として順調に仕事をしてきた私にとって失格と言う言葉は心に刺さった。 「どうもすみません」
やっと口から出た言葉を事務局長が訂正する。
「どうもありがとうございます、だろう」
違う。そうではない。ここは精神障害者を支援する施設ではないのか?私は雇用されているけれど、精神障害者なのだ。私の心は凍り付く。うつ症状の再発だった。
休んでいる間、私を解雇する話が持ち上がったそうだ。それを止めてくれたのは施設長である。同じ障害を持つ仲間が私の復帰を待ってくれていると知らせてくれたのだ。これほど嬉しいことはない。障害者の気持ちは障害者にはよくわかる。氷は少しずつ溶けていった。
「米山さんが自転車をこいでくる姿に勇気づけられるんよ」
施設に一番早くやってくる障害者は玄関で私を待ってくれていた。うつ病の人を励ましてはいけないと言うが、私には仲間の言葉が気持ちよい。いつの間にか私は孤独ではなくなっていた。
障害者というレッテルを貼られたと思い込んでいたが、レッテルは悪いものではない。ただの印なのだ。そして同じ印のついた者同士が繋がり合うのは、安心で安全な居場所がそこにできるからだと思う。こうして私は温かくなった心を持って仕事をしている。
精神障害。その苦しみはなかなか一般の人にはわかってもらえない。しかし、誰でも弱い部分は持っているものだ。その痛みを障害者は分かち合うことができる。むしろ、一般の人より深く理解することができると考えると、私の置かれている立場は最も重要な位置にあるのだと思う。私は障害を持ちながら、障害者の支援をしている。外国では既に定着しているピアサポーターの役割を担っているのだ。自信を持っていい。障害を持つことは恥ずかしいことではなく、新しく人生を踏み出す第一歩なのだ。
私はうつ病になり、看護師の仕事ができなくなったかわいそうな障害者ではない。誰にも真似できない新しい職種に就いた成功者なのだと思う。