【 佳 作 】
「先生、違う!」
中村さんは進路面接できっぱりと言い切りました。
「中村よ。就職はな、カネと将来性と世間体や。給料が良く、規模が大きく、知名度の高い、そんな会社を目指すんや」
「先生、それは絶対に違う!」
まだ社会経験のない18歳の青年が、そう断言するのには、はっきりとした根拠がありました。カメラマンを目指すお兄さんです。
お兄さんが明日上京するという前夜、お父さまが泣きながら止めました。「お前の為に云う。大学に行け。将来の選択肢がなんぼでもできる。カメラマンなんか絶対食っていけん」
お兄さんは云います。
「自分の始末は自分でする。だから心配せんでええ。でもたった一つだけ自分がイヤだと思っている人生がある」
「なんや?」
「お父さんみたいな人生や」
東京に逢いに行った中村さんはお兄さんの凄まじい生活に驚きます。
帰宅は夜中の3時。玄関先で抱えていたカメラの機材を下ろした途端、靴も脱がずその場で寝てしまいます。翌朝の6時頃目を覚まし、顔も洗わず、歯も磨かず、そのままの姿で出て行きます。そんなお兄さんが言いました。
「俺な、給料は3万8千円や。休みは殆んどないし朝スタジオに入ったら翌朝までや。しょっちゅう怒られるしな。だけどな楽しくて仕方ないんや」
中村さんは、一生懸命楽しそうに好きな仕事をやっているお兄さんの顔を見ただけで胸が一杯になって涙がポロポロ流れてきたそうです。
「先生、それは絶対違う。うちの兄は給料が3万8千円なのに不平も言わない。週休二日を羨ましいなんてこれっぽっちも思ってない。働くって本来こういうことじゃないんですか」
そんな中村さんの旅立ちは家出でした。様々な経験や出会いを経て10数年後、結婚式をやらせたら日本一のレストランを開業します。喜びに堪えない仕事となりました。
この話には4人の登場人物がいます。中村さん、お兄さん、先生、お父様。
ここに5人目として筆者を加えます。先生が云った「給料が良く、規模の大きい、高い知名度・・・の会社」で働く55歳です。左遷も降格も経験し働かされる辛さや悲哀や多少の感動や情熱など、明暗が混じり合った職業人生です。
さて、私たちはこの5人をどう見つめるのでしょうか?
おそらく、各々比べながら誰の選択がベストなのかを探すのではないでしょうか。かつての私もそうでした。しかしそんな私が30年余の仕事人生で見てきたものは「どれもが間違いではない」ということです。
人は、夢や事情やいきさつの中で我が道を選びます。その道に優劣はありません。ただ、楽しく仕事をしている人達に共通することが一つだけあります。それは、何の為にその選択をしたのか、何故今ここにいるのか、その動機や目的がはっきりしていることです。
働くということは登山のようなものです。頂上へ向かう方法は一つだけではありません。いくつもの登山口や登頂ルートがあるのです。父親の人生に反発したお兄さん。貧困という難所だらけのルートだけど、夢という登山口に立ちました。夢や働く意味を見出せない人は生活力という登山口から入るでしょう。社会勉強や自分探しのように、頂上を探すための登山口もあるかもしれません。そしてそれぞれがその後、生活力、やり甲斐、不安等、その登頂ルートならではの「難所」に直面するのです。
中村さんは先生や親に反発して身を立てることが出来た人です。お兄さんがその後どうなったかは知りません。先生の助言のお陰で立派な会社員となって活躍している人だって大勢いるはずです。皆、直面する難所を乗り越えていきます。「自分はこの登山口に立つ」というはっきりした意志があるからこそ、難所に体当たりできるのです。 人生の選択に、目的や意志を持ったとき、人は間違うことはないのです。登山口に立ち、ルートを見上げ、難所を覚悟する。これが働くということではないでしょうか。 あなたはどの登山口に立ちますか?