【 佳 作 】
「ねえ、センギョーシュフになりたいって思う?」「えー、思ったことないよ。お姉ちゃん、いきなりどうしたの?」食事会から帰ってきた上の娘が、炬燵に居た妹に話し掛けた。
「みんなね、仕事が大変だから、結婚して専業主婦になりたいんだって」「ふーん、専業主婦になって何するんだろうね」私は、結婚して3人の子どもが生まれても仕事をしている。幼いときに父親と死別し、経済的な困窮の中で育った私にとって、「働くこと」は自分を支え家族を支えるために当然の事であったし夫も賛成していた。核家族の我が家では、子ども達は生後8週目から保育園に行き、学童保育に通い、留守番をしていた。私自身に専業主婦という選択肢は全く無かったし、子ども達も「働いている母親」を当たり前として育っていた。そんな彼女たちが大人になった今、「働き続ける母親」をどう思っているのだろうか。働くことは当然として生きてきたけれど、心のどこかでは、子どもにとっての理想は家にいる母親だと思っていたのだと気がつく。自分の子育てやら、人生やらをのぞき見するような気持ちで子どもたちの話に聞き耳を立てた。聞けば、高校時代のクラスメート5人との食事会で、就職3年目の責任の重さにみんなのグチが止まらなくなったようだ。現実からの逃避の手段として出てきたのが「結婚して専業主婦」だったらしい。娘にとって、逃避先としての結婚そして専業主婦としての永久就職がなんとも腑に落ちなかったようだ。妹との会話が続く。「専業主婦って何するの?自分の子どもの世話?料理?洗濯?私が子どもだったら、そんなのまっぴらごめんだわ!」
思わず話に割って入ってしまった。「だって、子どもにとってお母さんがウチにいるって幸せなことなんじゃないの?お帰りって言ってもらっておやつのケーキなんか出てきて」
そうだ、子どもにとっては、外で働く母親より自分だけをかまってくれる母親のほうが良いに決まっている。世間でもそう言われているでは無いか。2人の娘はあっけらかんとした顔でこう言った。「他の子はどうか知らないけど、私たちは保育園や学童が好きだったし、誰もいない家に帰るのも好きだった。学童で自分たちで作るおやつが楽しみだったから、おかあさんのケーキなんて考えたこともない。」そして真顔で「お母さんが働いていなかったら、そのエネルギーは全部私たちに向いてたんでしょう?保育園も学童もなかったんでしょ?ムリムリムリ!きっと私たちこんなに素直に育ってないわ」と付け足した。彼女たちにとって、母親が働いている時間は世間の人たちが言う可哀想な寂しい時間では無く、むしろ沢山の友だちや大人達と出会える豊かな時間だったのだと気がついた。そんな私に2人が言ってくれた。「お母さん。私たちが小学校の先生と保育士になったのって、好きで一生働ける仕事だから選んだって知ってるよね」「それってお母さんが楽しそうに仕事をしていてくれたお陰なの。仕事って、部活みたいだなって思えた。大変だけど、人の役に立って、楽しいものだって」そうだ、自分を支えるために働き始めたけれど、いつの間にか「仕事」を通して人の役に立つ喜びを知った。その喜びを、感謝の言葉を頂いた時の何にも勝る嬉しさや充実感を、子どもたちも感じてくれていたのだ。今、ようやく気がついた。「仕事」は子育ての妨げなどでは無く、子育ての大いなる味方であったのだと。