【 佳 作 】
私は現在、私立の女子高校で就職希望の生徒の指導をしている。大半が進学する中で社会にでる生徒は1割にも満たない。家庭の経済的な理由が主なものであるが、勉強が嫌いで進学したくない、という者も少なくない。体系的に指導ができる実業高校に比べて私立学校は、限られた職員数で生徒とともに就職先を決めていくという自転車操業である。ここ1、2年の傾向として、景気の上向きにより求人数は数年前に比べて多く、昨年も希望者全員が内定を得ることができた。しかしそれに反して、離職者が後を絶たないのである。内定をもらった時は一緒にあれだけ喜んだのに2カ月ほどで辞めてしまう。サービス・流通業では各店舗に配属になったとたん上司や先輩の「愛のむち」で音を上げてしまうのだ。「お客様への配慮が足りない」と注意を受けると、自分では悪いことを何もしてないのに、人生で初めて叱られ心が折れてしまう。これは在学中に模範生だった者が多い。また18歳で一日中店頭に立っていたり、工場の天井の大きな扇風機の下で働く者がどれだけ個性を生かし夢を持ち続けられるだろうか。高校卒業時に、一生の仕事を決定することは大変なことなのは事実である。大学卒生のように、総合職に就きステップアップしていくという動機づけを高校3年では難しいかもしれない。よく進路雑誌や講演会などでは「卒業後の君たちは将来大きな夢を持っていってほしい」と言う。夢を持つことはとても大事なことである。だが自分は商品を開発する研究者でも、俳優でも、スポーツ選手でもない。傍から見て恰好の良い仕事ばかりではない、目立たない地味な仕事の繰り返しなのだ。働くことはそういうことなのである。私たち学校側では生徒たちの進路について現実を知りながら、それをオブラートに包み、会社に送り込んではいないだろうか。そして早期離職した彼女たちを、辛抱が足りないと批判していないだろうか。大人しく気が利かない生徒がブティックを希望すること自体がミスマッチの原因と思っていないだろうか。
そんな悩みを抱いていた時、あるシティホテルの人事課に務める20年ほど前の卒業生に会う機会があった。在学中は大人しく大勢の中に埋もれてしまっていた彼女だったが、当時、今のホテルへの就職を希望し入社した。意外な気持ちがしたが、採用されても客相手の仕事ができるだろうかくらいの記憶しかなかった。しかし今、採用の話をしながら「自分は消極的だったので毎日10人の人と話す努力をしました。最初は話題もありませんでしたが、とにかく笑顔であいさつすることから始めました。そして少しずつ自信がついてきてこのホテルで働くのが楽しくなりました。だから大人しく消極的な生徒でも採用して育てていきたいと思います。仕事は性格ではありません」と熱く語ってくれた。人生経験豊富な大人と違って、高卒で入社した人見知りの彼女が10人と話すことを毎日続けることは想像以上に大変なことだったに違いない。そして現在は中堅として採用と新任研修の責任者をしている。ロビーまで見送りに来てくれた彼女の凛凛しい姿を見て頭が下がる思いだった。何年も進路課にいて就職の仕事をしながら実は自分が固定観念に縛られていた。つまり目の前の生徒をうわべでしか見ていなかったのである。そして高卒生だからというレッテル貼りをしていたかもしれない。彼女のその言葉が私を気づかせ勇気づけてくれた。私が卒業までに関わる就職希望の生徒数は毎年15名程度である。一人一人ともっと真剣に、そして能率を重視するあまり、こちらからすぐ結論を出さないで本人と時間をかけて話しあい気持ちや考え方を引き出していきたい、うれしくもそんな気持ちになった。