【 佳 作 】

【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
若者たちに伝えたいこと
福岡県 retoro 59歳

(なぜ、どうして!?)10数年前の秋、『総合的に判断した結果、残念ながら…』という通知を手に私は茫然としていた。2人の子どもたちをつれて家を出て新生活を始めた私にとって、まずさしあたり必要な仕事を求めて採用試験を受けた結果だった。仕事は小中学生向けの塾を開くこと。結婚前にも塾で子どもたちに勉強を教えていたし、結婚してからも家庭教師や通信添削の指導員として教える仕事に関っていたので、これしかないこれならできると思って地域の講師採用に応募したのだった。どうしても納得できない私は採用担当者になぜなのか理由を教えてほしいと尋ねた。「本部で総合的に判断した結果です。試験の結果もほぼ満点でトップだったし、あなたならいい先生になられると思うんですがね…残念です」担当者は苦しそうな表情で奇妙な言い訳をしてもう一度、残念ですと繰り返した。その本当の理由が『子どもたちの親と接することの多い講師は、|||とした家庭持ちの人でなければいけない』ことを知ったのはしばらくしてからのことである。つまりバツイチでは親の尊敬を得られないから、試験を受けることは拒まないが採用はできないということらしかった。誰も好んで離婚する者はいない。ましてや子どもがいれば様々な逡巡がある。私も何年間も悩み考え抜いた末に、子どもたちをつれて家を出たのだ。それでも表面上はともかく、大部分の人はそんな画一的な見方をするのだという世間の本音を痛感した出来事だった。

その後、何とか見つけたパートで働きながら中学生と小学生の子どもたちを育ててきた。その仕事は私にとっては全く未知の分野のもので、ボーナスもなく賃金も低かったが、家から近いことと、子どもたちの学校行事などにも参加しやすくて長く続けることができた。生活はいつもぎりぎりで、休日にはお金のかからないレジャーを市報などで探して参加した。『ボロは着てても心の錦〜』という歌があったが、暮らしは貧しくても心だけは豊かにと常に意識して、子どもたちがひがまないように、前向きでいられるようにと心を砕いた。時おり、一人で子育てをすることの心細さと不安に押しつぶされそうになることもあったが、ここで私がくじけては、いっしょについてきてくれた子どもたちに申し訳ないと歯を食いしばった。

それから15年がたち、幸い子どもたちは良い友人にも恵まれて、2人とも奨学金とアルバイトで大学に進むことができた。長男は国立大学の経済学部を卒業し希望したメーカーに就職して、今は結婚して孫もいる。長女は、私自身が再就職で苦労し、仕事面ではまだまだ女にとって厳しい社会の現実を痛感して、何か一生ものの資格を取らせたいと思っていた。手先が器用なのと理系が好きというので、薬剤師をしている友人の助言もあって、薬学部を目ざすことにした。私立は経済的に無理といつも言っていたせいか本人もよくがんばって国立大学に入ってくれて、この春から近くの病院に勤め始めた。ようやく長い子育ての務めから解放されてホッと一息ついているところだ。先日は息子と娘が『子育てご苦労様賞』だと言って温泉旅行につれて行ってくれた。「これからがお母さんの人生だからネ」と二人に言われて思わず涙した。金銭面では決して豊かではなかったけれど、離婚という人生のハンディを負ったけれども、私は子どもたちと、人生後半で心ならずも始めた仕事に支えられて何とかここまで来ることができた。パートではあってもそこで得られた仕事のスキルと仲間との連携は、私の人生の宝だ。

長い人生では思いがけないことも起きるし、今の仕事が一生安泰だとも限らない。特に若い人にとっては、仕事面での厳しい社会状況は当分続くだろう。でも誠実に仕事にむきあい、その中から何かをつかみ取っていく努力を続ける限り、若者の柔軟な心は必ず未来につながっていくと私は信じている。

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