福祉の仕事を始めて11年が経ちました。初めから福祉の仕事をしたかったわけではありません。昔の私を知っている友人たちは「うそだろ!?」「お前が福祉?絶対ないと思っていた」と口を揃えて言います。
「なぜ福祉の仕事を選んだのですか?」という質問に私は答えられません。理由なんかないからです。そうなったとしか言えないのです。
私は25歳の時、初めて就職しました。それまでは昼夜逆転して遊んでいるダメ人間でした。
そんな私が一念発起して郵便局員になりました。簡易保険の営業に携わることになりました。しかし入職して2週間で交通事故に遭い、休職することになりました。
2か月間懸命にリハビリをして復帰しました。しかしまさかの出来事が起こりました。青天の霹靂とはこのことです。
復帰したその日に局長から異動を言い渡されました。「集配課で欠員が出ている。来週から集配課へ異動してくれ」と。私は言われている意味が分からずに、「異動?集配?えっ!?」としばらく放心状態。頭が真っ白になりました。この日のことは一生忘れられません。
辞めてやろうかと思いましたが親のために我慢しよう。親のために続けてみよう。親は公務員になった私を心底喜んでくれていましたから。
集配課に異動したものの、まったくやる気が出ません。そして事故の後遺症、元々持っている腰のヘルニアの悪化のために結局は辞めてしまいました。
次に見つけたのは福祉の仕事。福祉と言えば親も安心するだろう。そんな理由からでした。
社会福祉士という国家資格を取り、高齢者施設に就職しました。しかし私には到底許すことができない出来事が日常茶飯事に起こっていました。
「そこどきなよ!」「まだ食べてんの、早くしてよ!」と職員が利用者さんに怒鳴っていました。こんなの福祉じゃない。その前に人間として許せなかった。弱い者を守るのが福祉じゃないのか。人を大切にするのが福祉じゃないのか。私は我慢ができず、「どうなっているんだここは!あんたらおかしいよ!」と、言いたいことすべてをぶちまけて1週間で辞めてしまいました。
また仕事を探しました。そして今の勤め先の法人のを見つけました。家から近いし、暇つぶしに面接の練習でも行くか、みたいな軽い感じで試験を受けたところ受かってしまいました。面接官の「何でうちの法人を選びましたか?」の質問に、「たまたま求人を見つけたからです。近いから来ました。」と正直に言いました。受かる気がないから楽勝です。こんなやついないですよね。でも受かっちゃったんです。笑っている面接官がいたんです。その人が最初の配属先の上司になりました。今でも仲良くさせていただいています。
今の法人に勤めて11年が経ちます。こんなに続くなんて思ってもみませんでした。あの時、交通事故に遭わなければ今はありません。交通事故に遭わなければ命の尊さ、健康の有り難さ、人の痛み、温かさ、優しさに気付かなかったと思います。
今では事故に感謝しています。そして今生きていること、生かされていることに感謝しています。
まだ38年の人生ですが、今までの体験、経験で分かったことは、人生は分からないものだということです。変えられない過去を考えても仕方ない、まだ来ない未来を憂いても仕方ない。大切なのは今。今を一生懸命生きることが素晴らしい未来になると思います。
最後に、
働く理由なんかなくていい!
理由なんか後からついてくる!
こんなやつもいるんだ…
こんな考えでもいいんだ…
何か元気出た…
何か自信が出てきた…
これを読んでくれた、悩んでいる誰か1人でも心が軽くなったら嬉しいです。
大丈夫です、何とかなるもんですから。
読んでくれてありがとうございます。
ご縁に感謝します。
ありがとうございました。