【 努力賞 】
【テーマ:私が今の仕事を選んだ理由】
幸ある生活
山梨県 廣瀬昭美 39歳

私は、2児の母である。

1人目は、10歳の長女。2人目は、2歳の長男。長女は、小学校なので問題はないが長男の保育園に悩まされている。

私の在住している山梨県山梨市内では、少子化が進み、保育園が次々に閉鎖され、残されている保育園が満員になり、長男が入園出来ない状況である。

親は、親の生活があり頼めず結局自分の子供だから、自分で見ないとならない。

そんな中、消費税はアップされ物価まで値上がり、生活難は続いた。

主人は、介護職として特別養護老人ホームで、直向(ひたむ)きに働いてくれている。

私は、何とか経済援助出来ないものか、就職活動を始めた。

内職なら、自宅で子供を見ながら出来ると思ったが、昔とは違い現在は、自家用車で会社まで持ち運ばなければならない。

会社が近ければ良いが、遠方の為唯一の就職口が失われた。毎週、求人広告と睨(にら)めっこする。6月の4週目には、多数の求人広告が入り、拝むように見た。何回見ただろう。

「週1日、2時間の清掃パート」に、目が止まった。自分の世界が広がった!

誰もが、小遣銭でしかないとおもうだろう。

でも、私には子供が居て例え百円でも子供の為に、玩具や文房具等を購入したい。

1週の間に、ほんの1日だけで良いのなら育児の関係上、非常に有り難い事である。

内容も決して自分のしたい事とは言えない。

しかし、誰かの役に立つ仕事で十分である。

それが、一番幸せな選択なのかもしれない。

清掃員と聞くと、大した事はない仕事だと思われがちであるが、私達清掃員がいるから清潔な場所で会社員は働く事が出来る。

衛生的な場所は、誰もが心地好いだろう。

別の場所からも、声が掛かり非常に嬉しい。

状況に適した仕事がある今、この瞬間(とき)が私の幸せの一時(ひととき)だ。

実は、高校卒業後は父に多額な学費を出してもらい、介護の専門学校に通い介護福祉士の資格を取得する事が出来た。

6年間、介護福祉士として働いたが、結婚を機に辞めた。機会があれば、多額な学費を出してくれた父の為にもまた、社会の為にも再び復帰したかった。

しかし、育児との両立は私には、保育園が閉鎖され困難となった。

8月で3歳になる息子が、幼稚園に入園出来た際には、別の場所での清掃も増やし、社会に貢献したい。

介護職は、親の介護・通りすがり・催し物等で、ボランティア活動としても出来る。

今は、週1回の清掃に力を注ぎ、幸福な人生の源としていきたい。

戻る