【 努力賞 】
【テーマ:仕事・職場・転職から学んだこと】
幸せな仕事
長野県 内藤誉 40歳

数年前、ある中国人女性と知りあった。派遣会社のエンジニアで、この度我が信州上田の企業で働くことになり、関西からやって来たという。因みに彼女が所属するのは、以前“派遣村”等で話題となった登録型の派遣会社ではなく、正社員として雇用され、派遣されていない期間(“待機期間”という)中も規定の給与が保障される“常用雇用型”の派遣会社である。“リーマン・ショック”後の不況で一年程待機して研修を受けていたのだが、ようやく次の派遣先が決まったとのことで、彼女の顔は働ける喜びにあふれていた。

中国の国立大学を卒業し、日本の企業で採用されたというから、さぞ大きな夢や希望があるのだろう。そう思って訊ねてみると、こんな答えが返って来た。

「将来経営者になりたいとか、高いお金をもらいたいとは考えていません。ちゃんと世の中の役に立つお仕事が出来て、それに見合ったお給料がもらえれば充分です。たくさんお金をもらえるようになったら、中国の両親に専属の介護士をつけたいと思っています。それが私の夢です」

当時僕には中国人の友人が何人かいたが、皆“肉食系”の人々であり、脂ぎった「野望」を語られる事が多かったので彼女の答えは意外だった。その事を感じたままに伝えると、彼女は恥ずかしそうに笑った。

「去年の夏、帰省した時に父が近所の人や親戚の人達が大勢集まった中でこう言いました。“この子は苦労して勉強し、立派に大学を卒業して日本の会社に入った。そして一人暮らしをしながら私と妻にたくさん仕送りをしてくれている。この子のおかげで私達がどれほど救われているか。こんなに親孝行な娘はこの世に二人といない”」

“孝”を極めて重視する中国ならではのエピソードだろう。貴女もさぞ嬉しかったでしょう、と言うと、彼女は首を振った。

「父の言葉を聞いて、私は悔しくて情けなくて泣きました。去年私が仕送りしていたのは他の社員が稼いでくれたお金です。私は待機していたから、誰かの役に立って頂いたお金ではないのです。他のエンジニア達が大変な思いをして稼いだお金を、働いていない私が仕送りして父に褒められたのです。こんなに申し訳ない事はありません。

たとえ僅かでも、誰かの役に立って頂いたお金を仕送りしたい。そのお金で両親に喜んでもらいたいのです。社長になるとかお金持ちになる前に、当たり前に世の中の役に立てる人間になりたいと思っています」

僕は今、予備校で国語を教えているが、齢40を迎えて彼女の言葉を折に触れて思い出すことが多くなった。

教壇に立つというのは、“勘違い”を起こし易い非常に危険な仕事である。大学を卒業したての若造が、立派に社会で地位を築いている年長の保護者から“先生”と呼ばれるのだ。一般企業ではまずあり得ないこうした事が、いかに特殊な事態なのかという事に余程自覚的でいないと、“先生”と立てられることを当然と考え、あまつさえそれを己の実力と取り違えてしまうのである。すると若くして|いびつな万能感に溢れた“|立派な先生”になってしまうことがまま起こる。

30になる直前に、教職のこうした特殊性に恐怖を感じた僕は教壇を下りた。そして紆余曲折の末、一般企業に就職し、5年間営業職を経験させてもらった。一般社会で普通に要求されるスキルや常識を欠いていた僕にはまさしく修行の毎日だったが、教壇に戻った今、あの5年間の貴重さは日々痛感させられている。またそうした回想の中で、あの彼女の言葉の|きらめきにいよいよ感動せずにはいられない。

彼女が今どうしているのかは知る術もないが、あの透き通るような謙虚さは決して失わずにいて欲しい。そして僕もまた、養うべき家族がいること、教えるべき生徒がいること、支えてくれる同僚がいることの有難味を日々噛み締めて生きていきたい。 そんな生き方を迷うことなく貫ければ、僕の人生は充分に合格だろうと思うのだ。

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