3週間の日本滞在中、主人の坐骨神経痛が悪化して、歩行困難となった。杖があっても、数分しか歩けず、いつも激痛と戦っているようだった。高校生の娘2人と3人でアメリカに先に帰国することになり、車椅子を使用するかどうか悩んだ。今までに車椅子を使ったことがない。宮崎から羽田、連絡バスに乗り、国際線のターミナル、手荷物検査、そして搭乗ゲートまで行かなければならない。歩くのには大変な距離だ。出発直前まで私たちの不安とストレスは最高点に達していた。
出発当日、宮崎空港のチェックインカウンターで車椅子のことを聞いてみると、その若い女性スタッフが車椅子を持ってきてくれた。主人は日本語が出来ないので、私に他に何か出来るサポート(クッションや毛布の必要性、階段で補助など)がないか気遣ってくれた。
「羽田の連絡バスを国際線ターミナルで降りた時、車椅子があるかどうか心配なんです。どうにかできるでしょうか」と不安げに言うと、
「わかりました。こちらの方で何とかしてみます」としっかりした、心強い返事をもらった。
それまでに心に沈んでいた不安と緊張が一気に溶けるようだった。彼女の言葉は魔法のように、私たちをほっとさせた。
手荷物検査の所で男性職員の方に車椅子をバトンタッチし、飛行機は羽田に飛び立った。私は車椅子に乗った主人と娘を見送った。
羽田国際線ターミナルで連絡バスを降りると車椅子は見当たらなかった。しばらく待っていると、同じ航空会社の女性スタッフが「すみません。おそくなりました」と言って車椅子を持ってきてくれた。
手荷物検査もスムーズに通過し、搭乗ゲートまでグラウンドスタッフの方が付いてきてくれた。
その時、娘はサンフランシスコに到着した時、車椅子はどうなっているのだろうと不安になったという。その気持ちを伝えると、「よくわかりませんが、こちらの方で、手配できるかどうか調べてみます」とグラウンドスタッフの方が応えた。そして、ゲートで待っていると、同じスタッフがサンフランシスコでの車椅子の手配が出来たと娘に言いに来た。
実際にサンフランシスコに到着すると車椅子が待っていた。
宮崎空港での若き女性グラウンドスタッフの心温まるサポートから始まった車椅子の利用。それは宮崎、羽田、サンフランシスコと国境までも越えてバトンタッチされていった。主人と娘たちからこの話を聞いた時、私は車椅子のサポートに関わったスタッフにどうしてもお礼が言いたかった。しかし、名前も知らずどうすればいいか迷った。そこで、機内誌の事を思い出し、そこの編集部へ車椅子のサポートのお礼と私たちの感謝の気持ちをスタッフの方に伝えてほしいとメールをした。
翌日、返信メールが届いた。これがその一部である。「お客さまの想いを心で感じとって、心をこめてお返しする」、「部門や職種を超えて、最高のバトンタッチができるように連携する」ということは、{一部削除}社員が日頃より大切にし、努力していることのひとつです。」と書いてあり、プロとして誇りを持って働いているのだろうと感じた。私のメールが該当の部署に届くようにもしてくれたようだ。
アメリカに住んで20年近くなるが、日本のカスタマーサービスは素晴らしいと思う時がよくある。
若い社員にとって、部門や職種を越えてサービスをするというのは、難しいのではないだろうか。「いやー、それは私の担当ではないので」とか「自分では判断できないので、ちょっと上司に」とか、時々耳にするフレーズ。しかし、プロとして働くということはマニュアル通りにやるだけではなく、自分の頭で考え、努力し、行動、実行できるプロ意識を持った社会人でならなくてはならない。航空会社のような大企業であの若い女性グラウンドスタッフが私たちの不安や不便さを感じ取り、色々な便宜を図ってくれた。バトンタッチされた車椅子は止まることなく、心温まるサポートと一緒にサンフランシスコに到着したのだ。
彼女たちの心を込めたカスタマーサービスに本当にありがとうと言いたい。