なぐさめの言葉を私は持ちあわせていなかった。
育った川崎の中学校英語教師になりたい。より良い授業をする為、本場の英語を吸収したい。夢を実現すべくトランク一つでカナダに向かった娘。1年間の留学を経て、地元の教員採用試験に臨んだ。結果は不合格。インターネット発表の画面を見つめ、黙って大粒の涙を流していた。『来年、頑張ればいい』などとは簡単に口に出来ない。憧れの職業の為、海外で一人努力を重ねていたのだから…
隣りに座り、無機質に並んだ合格者番号を眺めた。しばらくすると、
「みんな心配してくれているから」
と気丈に振る舞い、次々に電話をかけだした。祖父母、恩師、友人…残念な結果を報告する後姿は、やはり
「せっかく留学までさせてもらったのに、出来の悪い娘でごめんなさい。勉強不足でした。働く事は大変なのね。私、先生に向いていないのかなぁ」
娘は、まっ赤な目で私を見つめた。その時、ふと一通の手紙のことを思い出した。そこには『一度しかない人生、自分の希望の道を諦めることなく粘り強く追及することも時には大切なことです』と認(したた)めてあった。私共親子は2年前、素敵な方と出会った。柔軟な笑顔、黙々と丁寧なお仕事ぶり、一所懸命働くという言葉を具体化したような方、ご自分の経験をふまえての言葉、有難いと思った。
「今の私を見透かされているようだわ」
何度も何度も噛みしめるように手紙を読んだ。
英語教師という働き方、いつなれるのか、わからない。どんな場所で、どんな形式になるのか。今後、様々な方からアドバイスを頂いて娘が出す結論。母親からの視点だけでなく、一人の女性として楽しみである。